【Vol.48】桐朋との繋がり – 27期 安田 尚民さん 後編-

ゲスト    :桐朋学園初等部 27期 安田 尚民様(以下、安田さん)
インタビュアー:桐朋初等部同窓会 会長 髙田紀世(以下、髙田)

 

安田尚民さんとのインタビューの後編です。
前回のインタビュー<前編>はこちら

髙田:
お仕事の中で、大切されていることは何ですか。

安田さん:
私の学校のスローガンは「すべての子どもが笑顔になる学校」なんです。学校から笑顔を絶やさないようにしたい、と思っています。元気な子どもたちを育成したいと思ってるときに、周りの大人がしかめっ面してたらいけない。自分自身がいつも笑顔でいられるようなメンタル状態だったり、体の状態だったりっていうのを、キープしておくってことはとても大切だと思っています。

髙田:
お仕事の中で大変だなと思うことはありますか。

安田さん:
教材研究もそうだし、明日子どもたちにこの話をしよう、だからこんな準備を使用、この教材を使ってみたい、などと考え始めると、もう夢中になってしまって時間も忘れてしまう、とことはあります。それを改めて「仕事だから全部準備しなさい」と言われたら、それはもうとんでもない残業時間になってしまうと思うんです。多くの先生たちは、授業について考える時間は「仕事だから大変」とはあまり思ってないのではないでしょうか。
ただ今、時代も変わってきました。新しく入ってくる先生たちの価値観、教職の捉え方もずいぶん変わってきました。いろんな意味で今まで通りじゃいけないのかなとは思います。正直に言うと、私自身は根が楽観的なんで、あんまり大変と思ったことないんです。保護者の対応に困ったり、生活指導に悩んだり、という経験はもちろんあります。でも、目の前の子どもがだんだん変わってくると、保護者は学校にとっての強力なサポーターになってくれます。それが分かっているので、大変でも、目の前の子ども達に向き合っていけるのだと思います。

髙田:
先生の楽しんでる気持ちが子どもたちに伝わっているのだろうと感じました。

安田さん:
楽しんでいる、と言えば、よく自分の小学校時代が楽しかったとか、中学校時代がやっぱり楽しかったとか、大学時代が良かったよとか、聞くことがありますよね。私も小学校時代は楽しかったなと思います。でもよくよく考えると、30歳を過ぎたぐらいから、新しい年が一番楽しいんですよ。だから、昔を懐かしむ余裕がないというか、自分を充実させるような術というのでしょうか、そういう思い込みはちょっと自分は長けているのかな、と思います。

髙田:
現在公立小学校の校長先生ですがご自分は私立小学校に通われていて、公立と私立の違いや同じだなと感じることをお聞かせください。

安田さん:
そうですね、違うのは子どもたちも保護者も、公立学校の場合は学校を選んで入学しているわけではないので、いろんなお子さん、いろんな保護者がいらっしゃる、ということはあると思います。特別支援的な配慮が必要なお子さんもたくさんいます。そして、学校に期待して下さる保護者がいる一方、学校に大きな期待を全くしていただけない保護者もいらしたりするので、そういう意味では私立学校と違うところはあるかもしれないです。

私が大学生の時、所属したゼミではいろいろなことをテーマに議論していました。ある時、お弁当と給食どちらがよいか、みたいなことが議論になったんです。

詳しい内容はよく覚えてないんですが、私は「お弁当派」でした。というか、給食を食べたことがなかったので、勝手に給食は美味しくないだろうとか、冷めているとか、無理やり牛乳飲まされてとか、ネガティブなイメージを先入観としてもっていたんです。だから、お弁当には親の愛情もあるし、美味しいし、メニューもすごく変わるし、友達と違うから交換しても楽しいし、みたいなことを、私は主張しました。でも、そこに来ていたゼミのメンバーの多くが、「給食の時間が学校で一番楽しみだった。」と言ったんです。かなりの衝撃でした。自分が公立学校に勝手に抱いてたイメージとか、先入観みたいなものの浅はかさを痛感しました。自分が常識だと思っていたことはとても狭い世界だったのに、そこしか見えていなかったんだなっていうのはすごく感じました。そして、世の中にはいろんな人がいて、いろんな人の価値観と接して生きていくのがすごい楽しいなと思い始めたんです。

ただ、同時にそういうところに気づかせてくれた、自分の経験していない世界の良さも理解できる、というふうに自分を育ててくれたのも、桐朋の教育なんだろうなっていうことを思いました。限られた人だけが通う私立学校の中だけど、先生たちは子ども達が井の中の蛙にならないように心がけて、子どもたちに外に目が向くように、きちんと育ててくださったんだな、ということをとてもありがたく感じました。

結局のところ、目の前の子どもが夢中になってる姿って、公立でも私立でも、全く一緒です。
そんな様子に関われることが楽しくて仕方ないんです。例えば、今日の午前中は、勤める学校の地域の清掃デーでした。袋とトングをもってゴミ拾いをして歩くイベントだったんです。本当は休みの日に暑いし、面倒くさい、と思うところかもしれません。でも、子ども達のだれかが「ゴミ見つけた!」って言うと、子ども達は一斉に茂みの中に頭を突っ込んで、我先にゴミを拾おうとするんです。そんな姿を見たときは本当にありがたいっていうか、子どもって素敵だなと思います。

髙田:
炭屋さんの炭みたいな話ですね(笑)

安田さん:
そうですよね(笑)
そんなものに価値なんかないんですけど、夢中になれるっていうのがいいんです。大人になるに従ってだんだん守らなきゃいけないフィルターがついてくるので、子ども達のようになかなか夢中になれないっていうところあるかもしれないですね。

髙田:
ご自身の桐朋小学校時代の学びから今の教師生活で参考にしていることはありますか。

安田さん:
桐朋の時、先ほど言ったように私は1年生~4年生が坂本先生で、5年生~6年生が武田先生に受け持っていただきました。当時、武田先生といえば、音楽の先生だったんですが、どういうきっかけか、私が5年生のときに急に担任になられたんです。

でも、武田先生はそれまでずっと音楽の先生をされてきたからでしょうか、担任していただいた5~6年生の間、算数は森先生、社会科は別宮先生に教えていただくこともあって、担任の先生以外にも様々な先生に教えていただく機会がありました。

いろんな先生のいろんな価値観とか、いろんな地雷とか、そういうのがちょっとずつわかってきて、子ども達なりに、この先生は自分のことを認めてくれるとか、自分はこの教科が得意なのかも、とかいろんな体験ができたのだと思います。実は今、公立学校では「教科担任制」というのが進んでいます。小学校では学級担任が全教科を教える、というのは原則としてあるんですが、学習内容が高度複雑化してくる、特に高学年では教科ごとに指導内容により精通している人に教えてもらった方がいい、というような考え方が一般的になってきているのです。

いろんな先生が加わって、いろんな先生に見られて、子どもたちもいろんな先生を経験してっていうのが出てきたのは、桐朋の時の良さみたいなのも感じますし、私は積極的に自分の学校でも取り入れ行きたいと思っています。自分より理科が得意な先生がいたら呼んでちょっとやってくださいとか、授業を見に行って他の先生のこれがすごい楽しそうだったから、自分の学級でもこれやってください、みたいな話、そういうのがね、大事かなと思うんです。

髙田:
これから仕事としてまた人生の中でやってみたいことや目標はありますか。

安田さん:
一度きりの人生、自分のその時の立場を活かして、やりたいことはみんなやりたいなと思っています。教員なので、教員としてやりたいことっていう中で、日本人学校にも行かせていただきました。機会があれば、日本人学校にはもう1回行きたいなって思いもあります。それから、校長としては、地域の中で子どもたちを育てるための学校の在り方に関心をもっています。

学校の周りには企業や大学などの教育資源が豊富にあります。地域の中、という条件で、これらを積極的に学校の教育活動に取り込みたいなと思っているんです。企業や大学も小学校と関わることで得する、というのがあったらいいなと思っています。企業に子どもたちが行き来したり、大学の学生さんが小学校で何かを仕掛ける、みたいなことが、今よりもっと当たり前に広がっていったら、とても面白いなって感じています。

髙田:
なぜまた日本人学校に行きたいのですか。

安田さん:
日本人学校はすごく楽しかったからです。
私はイランのテヘラン日本人学校に派遣されたのですが、不安定な政情もあって、児童生徒数は、一番多い時でも33人しかいませんでした。学級担任をしながらも、中学校を含め音楽と図工の専科もやらせていただきました。忙しいと言えば、本当に忙しい。先生たちは全国から集まってくるから、東京の常識も通じない。それでも日々とても新鮮で、やりがいがあって、自分の知らない世界をたくさん吸収できるとても大切な経験になりました。私が派遣されたのはたまたまイランだったのですが、イスラム圏ですし、文化も全く違うので、こんな経験を3年間もさせていただけるなんてありがたいな、と思いました。

私は、大学を卒業してから海外を放浪した期間があったので、海外の学校に行きたい、という思いが強いのかもしれません。うちの家族は、みんなそんな感じなんです。母親は高校の途中からアメリカに行って勉強していました。兄は建築を学んでいたので、いろんな建物を見たい、と大学の時からしょっちゅう海外に出かけ貧乏旅行を楽しんでいました。妹もインド哲学を専攻したら、マザー・テレサのところにボランティアに行ってしまいました。行動派で活発だ、という自覚があったはずの自分だけが、実は一番慎重派だったんです。それで大学卒業が近づいてきたころに、「このまま社会人になって、忙しくなって週末しか休みない生活になったら、自分の人生広げられない、」という焦燥感がどんどんつのってきて、結局大学卒業後にすぐに就職はせず、アルバイトでお金を貯めるとすぐに海外へ出かけて行ったんです。本当は、やろうと思えば、幾つになったって、どこに居たってできることはあるはずなんですけどね。

髙田:
いろいろな経験が今の仕事に活かせているんですね。
最後になりますが、若い同窓生に向けて何か言葉を頂けたらと思います。

安田さん:
桐朋はあらゆる場面で、ある意味緩く、見守りながら子どもの自主性を伸ばしてくれたのだと思います。それが今の自分を作ってくれたな、ととても思うんです。

小学校のうちは成績表ももらわなかったし、裸で裸足で歩いていても、何も言われなかった。休み時間が終わってなかなか帰ってこなくても、あまり大騒ぎにはならず、おおらかに見守っていただいた…。そんな経験が、今の自分のことを作ってくれたのだと思います。生江先生たちが情熱をもって桐朋で目指していたような教育が今の自分を作ってる、ということに自信がもてるんです。だから桐朋の卒業生の皆さんには、桐朋で培った自分の生き方に自信をもって、周りを巻き込んだり、チャレンジしたりするきっかけにしてほしいなと思います。

髙田:
今日は楽しいお話をありがとうございました。

安田さん:
ありがとうございました。

次回、卒業生のインタビュー記事は<2024年10月1日>に予定しています。

こちらのページでは、先生や卒業生の近況、また桐朋生にとって懐かしい方々を紹介いたします。
桐朋学園初等部同窓会は6,571名(2021年度3月時点)の会員から構成され、卒業生間の親睦と母校への貢献を目的に活発な活動をおこなっています。
卒業後も桐朋の教えをもつ仲間として、深い繋がりをもっていることが桐朋学園初等部同窓会の特徴です。

同期生同士の横の繋がりだけでなく、クラブ活動や課外活動等によって形成された先輩・後輩の縦の繋がりは、社会人になってからも大きな心の支えとなり、様々な場面で活かされ、その関係は一生のものとなっています。

「桐朋との繋がり」をきっかけに、更なる同窓生の交流が深まるよう、これから繋がりの深い方々を紹介していきます。