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桐朋学園初等部同窓会 設立趣旨

 昭和30年4月、産声をあげた初等部も、三十歳の壮年期を迎えることとなった。

 30歳の星霜は、戦後の日本の教育について、数多くの課題を与えてきたが、その間にあって、桐朋学園は「心の健康」「身体の健康」を目標として、一貫教育、国際教育を軸とし、「ひとりひとりの子どものもつ可能性」をまさぐりつつ、今日に到っている。

 この30年の教育効果として、なによりもまず挙げたいことは、卒業生の名が、それぞれ社会にあって活躍している、ということである。

 この度、30周年を記念して「初等部同窓会」が発足した。遅くに失するという声もあるが、私はそうは思わない。つまり、第一回生の年齢が38歳ということは、社会人としての基礎が固まり、指導性をもつ秋を迎えたことに他ならない。しかも、なかには、初等部へに子弟、女子を学ばせておるものも少なくないこともあって、いまや、父母としての初等部への視点も培われているのである。

 私が、新生の「初等部同窓会」には、単なる回想趣味的な集いではなく、自他ともに、明日を拓く気概と、母校に対しての鞭撻、指導を惜しまないことであろう。

 この同窓会が、今後の発展を持続することは、即、学園初等部の進展につながるのである。

ここに「同窓会」発足にあたり、会員それぞれの隆昌を心から期待してやまない。

桐朋小学校
初代校長 生江 義男

桐朋学園の創立記念日

桐朋学園の創立記念日は、どうして11月20日なのでしょうか。
幼稚園、小学校、中学、高校、短大、そして、音楽科高校、大学をひっくるめて、桐朋学園と呼んでいます。

この桐朋学園は、はじめ、山水高等女学校という学校でした。山水高女ができたのは、1941年(昭和16)4月のことです。軍人の子どもたちの入る学校なので、陸軍の山と海軍の水で、山水と名付けられました。

この仙川に校舎ができたのは、次の年(1942年)の11月で、その落成式が20日にありました。

注釈:昭和29年の学校。左上の方、これから初等部になるところ。

そこで、11月20日を記念日にしたのです。仙川に来るまでは、九段(今の千代田区)にある学校を借りて勉強をしていました。

仙川の立派な校舎も、1943年(昭和18)4月、火事の為に焼けてしまいました。焼けないで、今、残っているのは講堂だけです。数年前に壊された八ヶ岳の建物も、その時残っていた校舎だったのです。

山水から桐朋へと校名が変わったのは、1947年11月からです。1945年(昭和20)、戦争に負けて軍隊が無くなり、学校の仕事を東京高等師範学校(今の筑波大学)がするようになったためです。

注釈:昭和26年の学校。和光堂工場の煙突の上から撮る。

初等部は、1955年(昭和30)4月ですが、女子中学校、女子高等学校の創立記念日と一緒にしています。

注釈:和光堂工場の方から、仙川駅の方を見る。畑ばかり。昭和32年頃

注釈:昭和18年。正門のところ。火事で焼けた校舎。奉安殿がある。

注釈:昭和17年。正門のところ。奉安殿の近くで掃除をしている。右は今もある講堂。

注釈:はじめの初等部の校舎。右の方は幼稚園が使う。