【Vol.49】桐朋との繋がり -48期 新宮 有香子さん 前編-
インタビュアー:桐朋初等部同窓会 会長 髙田紀世(以下、髙田)
髙田:
今日は48期の新宮有香子さんにお話を伺いしたいと思います。では自己紹介からお願いします。
新宮さん:
私は幼稚園から桐朋学園大学音楽部の大学院の1年生までずっと桐朋で過ごさせて頂きました。
多分、桐朋生の中で、一番長いのではないかなと思います。19年間桐朋で過ごしました。
髙田:
子どもの頃はどんなお子さんでしたか。
新宮さん:
子どもの頃は、好きなことがあるとそれしかやらないみたいな、結構集中してずっとそれをやっているような子どもでした。桐朋の小学校は、その子の好きなものをとことん伸ばしてくださる学校だったと思うんです。私は学校で勉強したっていうよりは、すごい遊んだ思い出がたくさんあって、校庭の砂で泥だんごを作ったりとか、アスレチックで汚れることとかも考えずに裸足で遊んだりとか、友達とワイワイしていることが多くて、好きなことや興味のあることににまっすぐ向き合わせてもらえたなっていう思い出があります。
髙田:
小学校の遊びで印象に残っていることはありますか。
新宮さん:
そうですね。泥だんごかな。あとは自然広場ですかね。今も自然広場はありますか。
髙田:
違う場所に移動しましたが、自然広場はあります。
新宮さん:
そうなんですね。昔の自然広場で、友達とや綺麗な石を探したり、あとは川に入っちゃったりとか、おたまじゃくしをずっと観察していたりとか、自然広場に休み時間になると行っていた記憶があります。あとは木に手作りのブランコがあって、そこで友達とブランコを押し合ったりしていて、自然広場が楽しかったなっていう記憶があります。よく遊びましたそこで。
髙田:
印象に残っている行事はありますか。
新宮さん:
行事は、音楽会かな。
リコーダーをみんなで吹いたり、2年に1回だからすごく貴重で、みんなで声を合わせることが楽しかったです。音楽の飯田先生の素晴らしいピアノを小さい時から聞かせていただいて、そのときは全然わかんなかったんですけど、小学校なのにすごくいい音を聞いていたなって思っていて音楽ってこういうもんだなみたいなのを教えてもらったなっていう感じが今ではしていて、すごい音楽会は楽しかったですね。印象に残っています。
髙田:
音楽会で印象に残っている曲はありますか。
新宮さん:
あります!
「キ・キ・キノコ」っていう曲が好きでしたね。4年生ぐらいかな、歌っていたと思うんですけど、すごい印象に残っています。2年に1回なので自分の年はスキップしてしまって歌えなかったのですが、低学年の時に高学年の方が歌っていて、みんなの声が揃っていて、楽しそうだし面白いし、なんか歌いたいなって思ったんです。
髙田:
桐朋の音楽会が楽しかったというのが、今のお仕事にも繋がっているのですね。
新宮さん:
そうかもしれないですね。小学校の時は、本当に音楽の道に進むって別に思っていなくって、小学校一年生から、バトントワリングをやっていたんで、体育会系だったんですね。繊細な音楽っていうよりはスポーツって感じだったので、全く自分でも想像してなかったですし、選択すると思ってなかったんです。でも授業で印象に残ってるのが音楽の授業だったんです。
「五線譜にそれぞれ好きな音符を並べてみよう。」みたいな授業があって、その時にみんなそれぞれ好きな音符を書いて、好きな長さで書いて、8小節書くんですよ。
それを先生に渡して、音楽の飯田先生が、その旋律だけじゃなくて、伴奏をつけてアレンジして8小節弾いてくださるんですよ。
この曲は誰でしょうみたいな感じで名前言わないで弾いて、これは誰々でした。みたいな感じで、リズミカルな曲を書いている子とか、メロディックな和やかな曲を書いている子とかいてそれぞれ個性がすごい溢れててました。その時の授業がすごい印象に残っていて、なんかそれぞれでいいんだな。って、それぞれの良さがあって、それぞれの個性があるって、すごく面白いし、いいことだなっていうのを思ったのが印象に残っていました。
そういう経験は、先生方の質の高い音楽を聞いてこういう音楽っていいなとかって思えるきっかけになっていたんじゃないかなっていう気がしていて、本当に感謝です。
髙田:
とても素敵な授業ですね。
新宮さん:
素敵でした。なかなかあんまりしないですよね。きっとやらなきゃいけない授業もあると思うんですけど、そういう自由さがいいなって思っていました。
髙田:
その曲聞いて、誰が作ったって当てられるものですか。
新宮さん:
答えを聞くと、あーやっぱりね。みたいな感じがあって、その子の持っている性格とリズム感みたいのがすごくマッチしている子もいて面白かったです。
髙田:
劇団四季に入ろうと思ったきっかけを教えてください。
新宮さん:
小学校5年生のときの秋休みに母が五反田でやっていた四季のキャッツを見に行かない。って言ってくれて、ポスターを見たらすごく奇抜なメイクした猫たちがポージングしているポスターで、何か面白そうだなと思って連れてってもらったんです。
そのときにもう衝撃を受けてしまって、帰りの車の中で、これやる!それでもう自分がやりたいことが決まったっていう感じでした。バトントワリングは小学校一年生のときから、ずっと頑張っていたので、これを極めてから、四季の受験をしようと考えて、とりあえず中学のうちはバトンずっと頑張って定期的に舞台を見に行かせてもらっていました。
皆さん歌が素敵で、言葉も綺麗だし、歌えたらきっとの四季の受験にも役に立つし、音楽を勉強したいなと、基礎から楽譜読めるようにとか、歌えるようになりたいなと思って、中学3年生ぐらいのときに、両親に音楽の勉強したいんだけどっていうことを相談して、しっかり勉強して、できるんだったらやってみたらって言ってもらって。音楽の勉強を始めたのはそこからです。
髙田:
桐朋学園の音楽科に入ったのは大学からですか?
新宮さん:
そうですね、もうずっと桐朋では高校まで普通科で過ごしていました。
大学から声楽科に入りまして、歌を勉強したかったので、一応試験ではピアノとかもあったんですけど、歌をメインで勉強して、歌で桐朋の大学に入りました。
髙田:
劇団四季という目標があっての音楽科への入学を決めたのですか?
新宮さん:
そうですね。とりあえずその期間は、バトンからちょっと離れて、高2~高3の間から大学1年生ぐらいはずっと音楽の勉強をしていて、また大学に入ってからバトンを始めたんです。四季入る直前までバトンをずっとやっていました。
音楽も大学に入って4年間勉強して、大学4年のときに四季を受けたんですけど、1回落ちゃって、大学院がちょうど開設されるときだったので、大学院で1年間勉強しつつ、四季を受けて大学院の2年生になる年に、やっと入れたので四季の研究生に集中したいこともあって、大学院は途中で辞めて、四季に入りました。
髙田:
四季に入る為の準備というのはどういうことをすればいいのですか?
新宮さん:
部門が分かれていて、歌だとポップスのポピュラーボーカルっていうのと、クラシックのボーカルっていうのがあって、あとダンスはジャズダンス、バレエがあります。あとはお芝居の人はセリフだけの方がいて、5コースあったんですけど、そのうちの自分の良さが活かせるところで考えて、ジャズダンスコースを選んで、それまでやってきたバトンの映像を送って、歌も含めて全部CD に落として送りました。入るときは自分が一番強みになるもののコースで受けました。
髙田:
四季に入って、どれぐらいで舞台に立つんですか。
新宮さん:
1年間は研究生っていう立場なんです。1年間はずっとレッスン、レッスン、朝から夕方までずっとレッスンがあって、それは無料で受けられるんですけど、それを1年間やって途中の秋頃に中間試験があって、あと3月に卒業試験があって、そこで落ちなければ団員になれる感じですね。
次回、新宮有香子さん-後編-は<2024年11月1日>に予定しています。
こちらのページでは、先生や卒業生の近況、また桐朋生にとって懐かしい方々を紹介いたします。
桐朋学園初等部同窓会は6,784名(2023年度3月時点)の会員から構成され、卒業生間の親睦と母校への貢献を目的に活発な活動をおこなっています。
卒業後も桐朋の教えをもつ仲間として、深い繋がりをもっていることが桐朋学園初等部同窓会の特徴です。
同期生同士の横の繋がりだけでなく、クラブ活動や課外活動等によって形成された先輩・後輩の縦の繋がりは、社会人になってからも大きな心の支えとなり、様々な場面で活かされ、その関係は一生のものとなっています。
「桐朋との繋がり」をきっかけに、更なる同窓生の交流が深まるよう、これから繋がりの深い方々を紹介していきます。