【Vol.64】桐朋との繋がり -10期 花牟禮 亜聖さん 後編-
インタビュアー:桐朋初等部同窓会 会長 髙田紀世(以下、髙田)
花牟禮 亜聖さんとのインタビューの後編です。
前回のインタビュー<前編>はこちら

髙田:
授業の思い出はありますか。美術とかはやっぱりお得意だったんですか。
花牟禮さん:
美術は大好きだった。笠松先生がニューフェイスで小学校3年の時にいらっしゃって、それまでは三浦先生と松本先生が教えてくださっていたと思います。笠松先生が来られてからは、以前も楽しかったのですが、杉の木を小刀で・・・先日の同窓会で使った鉛筆削る道具の名前の愛称あるでしょ。あれの以前だったんで、お道具箱の中に本物の小刀、鞘がついた小刀を小学校1年から使っていました。杉を彫ってトーテムポールみたいなものを作ったのを先生が焼き杉にしてくれたのが、なんかすごく印象に残ってますね。
髙田:
それはどっかに飾ったんですか。
花牟禮さん:
そう、校庭の隅に飾りましたね。それから焼き物の窯があったんで、粘土で形作ったのを焼いてくれてもすごく楽しかった。
髙田:
肥後ナイフですね。
花牟禮さん:
そうそう、その肥後ナイフでない時代、本物の刃物でした。木の道具箱の中に小刀が入っていて。ハサミも入っているような感じで、少し大人になった気分で大事に持っていましたね。
髙田:
それで鉛筆を削っていたんですか?
花牟禮さん:
鉛筆も削っていたし、もう何でも切ったり削ったりは、その小刀を色々に使っていたと思います。
だから私は小刀ファンでした。
髙田:
その美術が好きでいろんなことを笠松先生から習いながら、美術の方に進もうって決めたのはいつぐらいだったんですか。
花牟禮さん:
それはずいぶん小さい時から決めいて、私の父が大学で教えながらアートディレクターをしていたので、なんか偉そうに小学校6年ぐらいにアートディレクターになりたいなんて書いているのを見ると、やっぱり父親の仕事にすごく興味があったのだと思います。
どちらかと言うと絵が上手というよりデザイン思考が強かったです。イタリアでブルーノ・ムナーリさんと巡り会ったことで、豊かなデザインというのがどんなものなのかを、ムナーリさんから習うことができた事がすごい経験でした。私のその後の人生を決めたような感じがします。
素材との向き合い方だとか。それから彼から言われたのは、『デザインというはとにかく埋める作業じゃなくて、引く作業なんだよ。だから、どれだけ空間が綺麗かというのがデザインの一番大事なところだから、その空間が美しいというところをしっかり見極めなさいね。』が、彼から渡された宝物の言葉だった。
それと、『素材を楽しみなさい。どちらかというと、頭で考えるのではなくて手で考える、手先を動かしながら、素材と出会いながら、素材の感触からイメージして、どんなものに変化できるかなと考えるのがとっても大事だよ。』とも言われました。たまたま私がイタリアで制作していた作品とだいたい同じコンセプトの作品を展覧会の会場で見たんですね。自分と同じ考え方で物を作ってる人がいたのだけどってムナーリさんに話をしたら、『それはね、同じというのはあり得るんだよ。でもそれを続けることがとっても大事なんだよ。』と『これを百回やるか、二百回やるか、千回やるか、一万回やるか。一万回やったらそれはもうあなたの世界になるから。それをやらないで一歩ぐらいで同じだって思って諦めるのはいかがかな。』と言われたんですね。
それが心に引っかかっていたのもあるかな。ハンドエンボスという技法を考え出して、始めたのがムナーリさんと会った直後でイタリアで発想して始めたんです。
それがだんだん楽しくなって。周りからは『真っ白で何も見えないじゃない』という厳しいご意見を受けながらも、この白い紙の中の陰影を楽しんでもらえると嬉しいなあって思いました。まだ技法が未完成だったので、どんどん深みにはまって続けてたら、もう43年近くこの技法を育てて来ました。やり続けていると、やっぱり「あっ」というひらめきとか、こうしたらこんな風に出っ張るかなと、思い当たった方法でうまく表現できると嬉しいし、 発見がいまだに続いている技法なんですね。
去年の暮れの個展で、ハンドエンボスの作品を出したのですが、やっと皆さんがその微妙な陰影の作品を認知してくれた様でした。使っている素材の和紙の美しさだとか、そこにできる陰影が綺麗だねっと言ってもらえたのが、今回とっても嬉しくて。続けてきて良かったなあと思ってます。
方向転換して全然違うものを作っても構わなかったのに、なんか引っかかって、ずっとこの技法と、この技法に合う紙との出会いを探しました。和紙も最初は、土佐の和紙でやろうと思いライトテーブルという光のテーブルの上で作業するんですけど、その紙を版の上に置いて上から見ると真っ暗でその版のシルエットが全然見えずハンドエンボスができませんでした。
それから和紙文化研究会に所属して、ハンドエンボスに合った和紙がどこの産地で作られているのか、透過性のいい和紙を探し求めました。たまたまそこで出会った方の名刺の紙が楮紙なんですけど、とても良く透過する和紙で。その方は富山で悠久紙を漉いてらっしゃる宮本さんっという方でした。お願いして初めて特製のハンドエンボスに適した雪晒しした楮の極厚の和紙を漉いていただきました。大判の和紙なので大きな作品もできるようにりました。

この和紙を使った作品が今ボロニアホールの入り口に2点並んで飾られている『L’ALBERO』です。
その後に、もっと適してる和紙がないかなと思って、三椏100%で漉いてもらう漉き手さんを探ました。三宅さんという丹後で紙漉きをされていた方が作ってくださいました。それが素晴らしく気持ち良くハンドエンボス出来る紙でした。今回は新潟県で紙漉きをしている佐藤さんという方に紙をお願いして漉いてもらいました。今回漉きたての楮紙なのでどんな具合かなと思ったのですけど、ものすごくエンボスの入りが良くて、気持ちよく制作することができたました。やっぱり紙素材との出会いが大きいですね。
髙田:
12月の個展に、私も行かせていただきました。すごく温かみがある作品だなと素人ながら本当に思いました。
野の花をハンドエンボスしている作品がすごくいっぱい置いてあったので、その野の花もまた小学校の八ヶ岳の影響ですよねって仰っていて。
花牟禮さん:
そう、八ヶ岳でスケッチした野の花を今回は。というか、八ヶ岳でずっとスケッチし続けていて、ハンドエンボスの作品たくさん制作しました。何故、野の花なのかというと、ハンドエンボスの技法というのが、エッチングの空押しや、紙版を重ねたプレス機を使うエンボス技法ではなくて、ライトテーブルを使い、紙版の上に本紙を置き(紙の裏側からの作業)、透過して見える版のエッジをスタイラスと言う道具で押して凹凸を付けます。紙版は細かくパーツに分けて、それを版の中に戻しながら新しくできたエッジを押していくことによって奥行き感が出せるところが特色です。やはりこの表現方法の、奥行きを出せるという特性を一番表現できるのが植物、それも八ヶ岳の植物だったっということかしらね。
シンプルな幾何学的なハンドエンボスも、もっとこれからはやっていこうと思ますが…


髙田:
いろんなもののルーツが仙川の桐朋小学校にあるっていうお話を聞いてて、気がすごくするんですけど。
花牟禮さん:
そうね。八ヶ岳は桐朋で合宿行かなかったら縁のない場所でしたが、両親も八ヶ岳をすごく気に入っていて、そこに山荘を作ったので、私は小さい時から八ヶ岳の花のスケッチをずっと続けてこれたのはもすごくラッキーだったかな。
ここに来て小学校の時のお友達が本当にみんな素敵に大人になっている姿を見てなんか嬉しいし、私ももっと頑張んなきゃなって思うような人たちがいっぱいいてくれるのがとても幸せです。
みんなね、相変わらず元気がいい。もう来年古希なんですよ。全員が。だけどみんな元気よくっていろいろトライしてて、新しいこともいっぱい挑戦しているから、なんか羨やましいですね。一緒に頑張れる仲間がいるのは一番うれしいですね。
髙田:
先輩方は、若い子たちもそうですが、みんなやっぱりすごく元気だし、いろんなことに興味をすごく持っているのが桐朋生なんだなっていうのを私はちょっと感じているんですけど、いろんなアンテナがあって、その自分の専門以外のアンテナをいつも張ってるような感じがして、そのアンテナからこういろんな刺激を受けて、同窓生やたちがもう一緒に触れ合うことによってまた刺激を受けていくなっていうのを最近すごく感じてます。
花牟禮さん:
本当にそうですね。本業はこれだけど、それ以外に乗馬が楽しい人とか、ただ漫然と暮らしてるっというのではなく、フラメンコを踊って教えたりとか、船に乗たりとか。そんなことしてるの?っという驚きを持って迎えられる人がいっぱいいるのに刺激を受けています。
私は桐朋の講座で教えているおかげで、桐朋祭の時に講座の方たちの作品の展示をするのですが、そこでハンドエンボスが体験できる機会に小中高のお友達がお子さんやお孫ちゃんと来て楽しんでくれるのもとっても嬉しいですね。
髙田:
繋がりですね。きっと桐朋の。
花牟禮さん:
そうですね。
あと私ものすごく印象に残ってる言葉があって、生江先生が「インターナショナルというのはどういうことだかわかるかい?」と確か聞いたのね。 そしたら、「インターナショナルというのは自分の言葉で胸を張って話ができることなんだよ。」って言ったの。
インターナショナルな人ってそういう人なんだって思って、たまたま私がイタリアに若い時行った時、その後にJICAの派遣でマレーシアで障害者支援をした時に、やっぱり自分の言葉で語りかけることで、相手がすごく受け入れてくれるし、大事にしてくださるっというのを身をもって経験できたのが本当ありがたかったのと、生江先生のインターナショナルな人に少し近づけたかなとも思いました。
やっぱりね、そこでポンってイタリアに行ったり、家族を置いて単身マレーシアに行けたのは桐朋っ子じゃないとできなかったかもですね(笑)
髙田:
継続していくっていうこともすごく大事なんだなっていうことを今すごく感じました。
花牟禮さん:
そうですね。不器用だから続けてきたんだろうと思いますが、続けたことでの楽しみとかってありますね。
継続は本当に力というか、金ですね。
髙田:
私、このキリッコちゃんの話を聞いてなかったなと思うんですが、そのデザインするのって何かイメージとか想いとかっていうのがあったんですか。
花牟禮さん:
これはね、20年前に桐朋小学校の五十周年に何か作りたいとお話をいただきました。そこで桐朋の桐のマークを見てたの。そしたら、これってなんか子どもが三人楽しげに寄ってるみたいに見えるなと思って、ここからスタートしました。あの三人の子どもたちをどうにか表現できないかと、桐のマークとを重ねて考えて作ったのがこのマークです。 まさか20年目にまたリバイバルして使っていただけると思っていなかったので、とてもびっくりしました。20年間とても大事にしてもらえたキャラクターを保護者の方と先生方と一緒に作れたことがとっても嬉しいです。

髙田:
可愛い愛らしいキャラクターで、またこれからもみんなに可愛がられるんじゃないかなと思います。
花牟禮さん:
そうだと嬉しいです。
髙田:
最後に、同窓生たちに何か言葉をいただきたいなと思うんですけれども。
花牟禮さん:
みなさんは桐朋小学校で自分の考えをしっかり持って、失敗しても色々考えをめぐらす経験を沢山されているので、自信を持って胸を張って生きて行けると思います。大変な時ほど燃えますよね・・・自分の予想をはるかに越える素敵な人生が待っていると思います。歳を取ったら仲間とその素敵をシェアできるともっと豊かで楽しいですね。
髙田:
ありがとうございます。
いつも素敵な作品をまた展覧会とかあればご紹介をホームページにさせていただきます。
花牟禮さん:
ありがとうございます。
髙田:
またよろしくお願いします。
花牟禮さん:
こちらこそよろしくお願いします。ありがとうございました。

次回、卒業生のインタビュー記事は<2026年5月1日>に予定しています。
こちらのページでは、先生や卒業生の近況、また桐朋生にとって懐かしい方々を紹介いたします。
桐朋学園初等部同窓会は6,784名(2023年度3月時点)の会員から構成され、卒業生間の親睦と母校への貢献を目的に活発な活動をおこなっています。
卒業後も桐朋の教えをもつ仲間として、深い繋がりをもっていることが桐朋学園初等部同窓会の特徴です。
同期生同士の横の繋がりだけでなく、クラブ活動や課外活動等によって形成された先輩・後輩の縦の繋がりは、社会人になってからも大きな心の支えとなり、様々な場面で活かされ、その関係は一生のものとなっています。
「桐朋との繋がり」をきっかけに、更なる同窓生の交流が深まるよう、これから繋がりの深い方々を紹介していきます。

