【Vol.56】桐朋との繋がり – 18期 有泉 仁美さん 後編-
インタビュアー:桐朋初等部同窓会 会長 髙田紀世(以下、髙田)
有泉仁美さんとのインタビューの後編です。
前回のインタビュー<前編>はこちら

髙田:
学生時代の色々な経験をしてまたなぜ青年海外協力隊に行かれたのですか。
有泉さん:
青年海外協力隊(現JICA海外協力隊)に行ったのは、お話しした事故よりずっと前の平成3年度です。協力隊に行ったのは、大学生の時に国際関係学科にいて、バックパッカーをしながらいろんなことを見て、大学4年生時のゼミの先生が協力隊ってあるのよ。という話をしてくれたのがきっかけでした。卒業前に1度、協力隊説明会に行った時に、ソフトボールという派遣職種があるんだと知りしました。卒業後はまず一回日本社会で就職をしてみようと思って、銀行員になりました。
その頃はバブル時代で銀行からの求人も多く、トレーダーとして太陽神戸銀行に入行が決まっていたのですが、入行前に三井銀行と合併して大きな銀行になってしまい(当時行員が1万2千人と聞きました)入行したらトレーダーではなく、証券事務の職場に配属になりました。
社会に出て最初に衝撃的だったのが、総合職3年目くらいの男性行員が「株券が無い」と慌ている一方で、トレーダーとして活躍している女性行員が、これから総合職の試験を受けるという状況の格差でした。社会を一定程度冷めた目でみるという経験だったかもしれません。そこから協力隊の派遣期間が2年間なので、2年経ったら、ソフトボールの募集がまたあるだろうという予想も的中したので、募集1名だったソフトボールという職種で応募し、グァテマラ共和国への派遣がきまりました。
髙田:
グァテマラは何年ぐらいいらっしゃったんですか。
有泉さん:
青年海外協力隊は2年間の任期が基本ですが、後任の派遣がなかなか決まらなかったこともあり、1年延長し3年間の任期となりました。その3年目が終わる頃に、日本の無償資金協力で浄水場の改修工事のプロジェクトが始まるので通訳を探してるんだけど、やらない?って声をかけてくれた人がいて、グアテマラで次の仕事がほぼ決まっていたので、協力隊員を帰国して終了、1か月後にはグアテマラに戻り浄水場の工事長の通訳として働きました。浄水場の改修案件が首都から始まって、地方にも展開していき、9年間続きましたので、協力隊期間と合わせて12年ぐらいグァテマラで暮らしてましたね。
髙田:
グァテマラはどんな国なのでしょうか。
有泉さん:
グァテマラの首都は日本より赤道寄りですが、標高1500m以上あり、雨季と乾季がありますが一年中春のような温度で、すごくいいところですよ。でも治安は決してよくないので結構危ないところはいっぱいありますね。でも協力隊員って地域の人たちに可愛がってもらえるので、「そこ行ったら危ないよ」と教えてくれるおばちゃんとか、家族のようにしてくれる人とかがいて、そうした人との繋がりの中で、活動が進んでくので、私には信頼できる人間関係があったので、グアテマラに戻ることは全然躊躇なかったです。
私が派遣された当時、グァテマラはまだ内戦していました。なので、行けないところがたくさんあって、地図も国家機密なので、なかなか手に入らなかったです。協力隊のグアテマラ事務所の方が全面的にバックアップしてくれながら、地方の隊員も活動していました。その当時はまだ無線で地方の隊員が毎日首都の事務所に毎日の報告をするのですが、「首都へ上がる途中の橋が爆破されたので、しばらく首都に上がれません。」という無線が聞こえてきたこともありました。ただし、毎日そうしたことがあるわけではないし、安全な範囲を決めて協力隊員も派遣されていたのだと思います。協力隊は人づくり、国づくりなので、それをお手伝いだったんでしょうね。


髙田:
そこで戦いは起こっているけど、普通に生活している人たちがいるということですよね。
だからその人たちを守るためには、お水を引いたりすることが生活を守ることになるのですね。
そのグァテマラの仕事を終えて、今日本に帰ってこられて、養蜂をされているというのを聞いたのですが。
有泉さん:
これも長いお話ですが、私はいろんな仕事に就いてきました。
銀行員から協力隊を経てグアテマラで水処理の通訳がひと段落してからは、同じプラント建設会社でラテンアメリカを中心に国際営業をしていました。その後会社を離れ、協力隊員をお世話するボランティア調整員という職業を2年契約でJICA派遣によりドミニカ共和国で務めました。
そこから日本に帰ってきて、今在籍している青年海外協力協会という公益社団法人(当時は一般社団法人)で長野県駒ヶ根市にある青年海外協力隊駒ヶ根訓練所(協力隊を派遣する前に語学や健康管理、安全に関する訓練を約70日間で実施する訓練所)で5年間訓練所スタッフとして働きました。
その後、当協会が地方創生事業を立ち上げるということで、出向という形で地域に根差した社会福祉法人に入り、福祉施設でありながら地域の方々が利用する温泉施設や食事処であり、人が交流して、そこに生活介護があったり、障碍を持つ人が働く場であったりという現場を立ち上げながら学び、出向を終えて広島県の安芸太田町という島根県寄りの自然豊かな山深い、人口6000人ほどの町で、温泉掘削と福祉施設の申請、町役場と町の方々との話し合いなどを続けながら複合施設の立上げをしました。
そこから異動になり、今またJICAからの受託事業に携わっています。協力隊も自分の周りにいる人々と共に暮らして、汗をかきながら活動を進めるのですが、日本国内でも協力隊訓練所で地域の人との関わりのなかで地域でのイベントに参加させていただいたり、地方創生の現場では日本国内の各地が少子高齢化や都市への人口流出で大変なことになっているということ、よそ者が入っていって何かできるのかという部分は協力隊と地続きですよね。そして今まで働いてきた場所が困りごとの多い場所や国だったのですが、そうした場所は不便だけれど自然が多い、途上国へ営業に行っても、南米アマゾンの源流あたりは植物の勢いとか凄いんですよね。その中に人の暮らしがあって、何とか生活している。手つかずの清流がある場所の景色が心に焼き付いているんです。自分の中に何かそういう自然に親近感がある。
年齢も重ねてきたせいもあるのか、地方創生の仕事から外れて、都心のビルの中で仕事をすることが決まり、東京に戻ろうと決める過程で、調布市で何したいかな、面白いことないかなと思って、家族と話したら、街の清掃でゴミ拾いを始めた人がいて、その人は元々静岡の人で仙川に住んでいて、“10年以上このまちに住んでるけど街のことを知らない”と感じて、ゴミ拾いを始め、次第に仲間が集まってきて、ゴミも拾ってるけど街も綺麗にしたいから、花を植えようといって植栽を始め、花を植えるのだったら蜂も飼ってみようと、養蜂を始めた人がいて、テレビで紹介してたわよ、と教えてくれました。そこから団体のホームページを見ていて、蜂が面白そうだなってふと思って、東京に戻ってくる直前にその団体が実施している養蜂スクールに申し込んで・・・というのが、蜂を触りだしたのがきっかけです。
ミツバチの生態ってめちゃめちゃ面白いと思って、今初めての自分の家の庭先で飼い出して冬越しさせています。東京は街路樹にニセアカシアなどもも多いようで、銀座でも随分前から、ミツバチを飼ってハチミツを採って販売もしていて、調布地域でそういう活動もできたら面白いなと思って。

髙田:
将来的には、蜂で地域の活動をする予定ですか。
有泉さん:
それは、私が養蜂に関わらせていただいている“グッドモーニング調布”で既にやってらっしゃいます。
グリーンスクールと銘打って、子どもたちに自然体験や収穫体験、蜂の巣枠を見せて蜂はこんなふうに暮らしてるよなど、環境体験学習を提供する活動などをしています。私はそこで緩く繋がれたら嬉しいですという感覚で、養蜂スクールのスタッフとして参加させていただいています。
養蜂の副産物である蜜蝋などで作ったものを地域のイベントに出店して販売もしています。自分は庭先養蜂をしているのですが、養蜂箱の中には枠だけがある「か式」という巣箱を使った自然養蜂をしています。蜂に興味を持つようになって、たまたまその手法を目にしたので、か式の開発者の講習を長野県の諏訪で受け、巣箱を入手してミツバチを飼い始めました。本当に日本ミツバチから西洋ミツバチまでよく知ってる方で、教えてもらいながら蜂が暮らしやすい環境を試行錯誤しながら養蜂をしています。
巣箱の形式がちょっと違うので、養蜂スクールの巣箱と対比しながら、スクールも手伝いながら見てるので、こういう違いがあるんだなっていうのとか、今まだ我が家のハチにダニがいる様子はありませんなど、情報共有しながら地域で少しずつミツバチを飼育している状況です。ミツバチは面白いですよ。
髙田:
しかし養蜂は手間がかかるものですよね。
有泉さん:
そうですね。
環境を整えてあげて、住みやすい場所にしてあげるということがやはり大事なようです。1群で一つの生き物(集団知)みたいなものなので、嫌な時は、ブーンと高音の苛立った羽音を出すんですよね。
なので、落ち着かせるために煙をかけておとなしくさせますが、私が使っている“か式”の巣箱を使っていると、住み心地が良いのか落ち着くようで大人しくなっていきます。勿論嫌がることしたら刺しますけど、嫌なことさえしなければ、せっせと働いてひたすら生きてますよね。そういう姿を見ると、ちょっと感動的ですよね。
ミツバチは女王を中心にコロニーを作って、働きバチはコミュニケーション力が高いですよ。どちらの方向のどれぐらいの距離に行くと花があるかを、あっという間に群の中で共有して飛んでいき、花粉を足に付け、花蜜をおなかに一杯貯めて戻ってくる様子はお見ているのは飽きません。日本ミツバチも嗅覚に優れていてすごいみたいですね。
髙田:
ご自分で作ってる養蜂箱は、今後どのように利用していくのですか?
有泉さん:
そうですね。
自分でとりあえず飼ってみて、増えてくれれば蜜が取れるし、自然巣の蜜ってすごく美味しいんですよ。
香りもいいし、養蜂スクールと一緒に何かおすそ分けできる人にしてもいいのかなって思っています。事業を興すなどよりは、自然のものに親しんでいたいっていう思いの方が強いですかね。
髙田:
ライフワークじゃないですけど、今やっていきたいものが養蜂なんですね。

有泉さん:
蜂との関わり。蜂の気持ちになれるか!?みたいな感じですね。とにかく面白くて、最近「What the Bees See」という本を買ったのですが、それは特殊なカメラを使って蜂の目でどういう風に花が見えるかを写真集ししたものなのですが、それがまたすごく綺麗なんです。
人間が見える色の範囲も決まっているけど、動物、昆虫によって見える色の範囲が違うので、紫外線よりの色味で蜂はこういう風に世の中が見えてるんだなって、新たに違う世界が広がるので面白いですよね。その本には人間の食料の7割ぐらいは活動をする昆虫と動物のおかげで得ることができている、と書いてあって、植物、昆虫たちがいなくなってしまったら、人間も動物も成り立たないなので、ミツバチも身近に感じながら、大事に飼いたいなと思っています。ただ、ダニや冬越しなどは難しいなとも感じています。でも掛け値なしに面白いですね。見てるだけで飽きない。
髙田:
差し支えなければ仙川のホームページとかお知らせをいただけたら嬉しいです。
最後にですが、今の若い同窓生、にお言葉をいただければと思います。
有泉さん:
そんなに偉そうなことは言えないですけど、自分の好きに生きていくのがいいと思います。
私が本当に何か自分で選んでというか、目の前のやりたいことが現れたら、それをする生き方をしてきたので。
この間、高校の同級生との雑談のなかで、「私ってどう見えるの」と聞いてみたら、“ヒューマンネイチャー”と言われました。目の前に興味があることがあったら、それをヒュッと掴んでそっちをやってみる。どこまで自分でやっていくのかは、自分で決めることだと思いますので、そうやって自分の人生を動かしていただきたいなと思います。
世の中に居れば、社会人になれば、人に気を使いながら生きていますけれども、人って関わりの中で生きているので。何かあってもくじけずに自分のやりたいことを、人との協調もしながら、自由闊達にやったらいいんじゃないかなと思っています。
髙田:
貴重なお話ありがとうございました。
有泉さん:
ありがとうございました。
▼グッドモーニング調布:https://goodmorning-chofu.org/
養蜂スクールで採蜜したハチミツは仙川のPOST(仙川郵便局のはす向かい)と桐朋学園裏にあるカフェのニワコヤで販売されています!お近くにお越しの際は是非お立ち寄りください!

次回、卒業生のインタビュー記事は<2025年7月1日>に予定しています。
こちらのページでは、先生や卒業生の近況、また桐朋生にとって懐かしい方々を紹介いたします。
桐朋学園初等部同窓会は6,784名(2023年度3月時点)の会員から構成され、卒業生間の親睦と母校への貢献を目的に活発な活動をおこなっています。
卒業後も桐朋の教えをもつ仲間として、深い繋がりをもっていることが桐朋学園初等部同窓会の特徴です。
同期生同士の横の繋がりだけでなく、クラブ活動や課外活動等によって形成された先輩・後輩の縦の繋がりは、社会人になってからも大きな心の支えとなり、様々な場面で活かされ、その関係は一生のものとなっています。
「桐朋との繋がり」をきっかけに、更なる同窓生の交流が深まるよう、これから繋がりの深い方々を紹介していきます。

