【Vol.57】桐朋との繋がり -30期 田村 一行さん 前編-
インタビュアー:桐朋初等部同窓会 会長 髙田紀世(以下、髙田)
髙田:
今日は令和4年(第73回)芸術選奨舞踏部門文部科学大臣新人賞を受賞されています、田村一行さんに来ていただいて、お話をお伺いしたいと思います。
よろしくお願いします。まず自己紹介をお願いいたします。
田村さん:
本名は田村一行(かずゆき)と申しますが、大駱駝艦(だいらくだかん)という踊りのグループに所属していて、ステージ上では田村一行(いっこう)という名前で活動しています。
幼稚園から高校までずっと桐朋で過ごしまして、桐朋卒業後は日本大学芸術学部の文芸学科に進学して、言葉のことをいろいろと学びながら、大学に在学中から大駱駝艦という、麿赤兒(まろあかじ)が主宰する舞踏という種類の踊りのカンパニーに所属して、もうかれこれ28年くらいずっと踊っているというような感じです。ここ数年は、麿さんがつくる大駱駝艦の本公演の作品に出演する以外にも、日本各地の様々な文化や風土を題材とした作品を現地に滞在して創作したりと、自分の作品もたくさん作っています。
Photo by ©小林直博
髙田:
ありがとうございます。
まず小学校の思い出を教えてください。
田村さん:
小学校の思い出を今の自分とつなげて考えて、まずまっ先に思い浮かぶのは、運動会の時にいろいろな日本の踊りをやりましたよね?
御神楽とか七頭舞とか、あと僕らの学年はやらなかったんですけど、たしかあの頃ちょうど荒馬が始まったんだと思いますけど、ああいう体験が、実は自分にすごい影響を与えていたんじゃないかなって思います。
当時踊りを教えてくださった体育の市川先生のことも良く覚えていて、市川先生が七頭舞を踊る時の腰の低さって、今でも自分の踊りの手本のように思い出すことがあるくらいです。先生方がどういう活動をして、どういう経緯で七頭舞や御神楽の習得をしたのかというところはすごい興味があります。各地に伝わる芸能や神事を外に持ち出すのって簡単なことではないと思うんです。最近、いろいろな場所を訪れて、その地域の神話とか伝説や民話、お祭りとか、風景や文化から題材をいただいて作品を創作するという機会が多いのですが、そのような時、当然その題材というのは、その場所の方々がとても大切にしているものに注目することが多くなってきます。そこに住む方々が長い間大切にしてきているものによそ者が触れるということは、その場所に深く入り込ませていただくという大変光栄な部分がある半面、それが神事である場合とかは特に「なんでこんな奴に」と思われてしまう危険もはらんでいるんです。なので「都合よくだけいただかない」ということや、リスペクトの気持ちを大切にしてその背景などをきちんと見つめて、いろいろな方からお話を聞いたり、その地域の風土や歴史のことなども調べて、愛して、そうして自分の作品にお借りしていくということに気を付けています。
例えば以前、国の重要無形民俗文化財になっている青森県の八戸地方に伝わっている「えんぶり」という民俗芸能を題材に作品を作るということがあって。30組以上のえんぶり組があるんですけど、本当にその組ごとに特徴があって、昔からそれぞれの組が自分たちの伝統をとても大切に、親から子へ、子からまたその子へと引き継いでいる、800年以上の歴史がある神事なんです。だから普通はよそ者に教えたり、踊らすようなものじゃないんですね。その時は“荒谷えんぶり組”という組の親方が僕らのやっている踊りにとても興味を持ってくださって作品をつくることができました。何回も現地を訪れて踊りを習ったり、お酒を飲みながらそれぞれの踊りがどういう踊りなのかとか、その地域に言い伝えられている「えんぶり」にまつわる伝承などもたくさん聞かせていただいて、それらを元に作品を創作しました。その時いろいろとお話ししてくださった踊りの話し、踊りの哲学ですよね、それが僕の師匠である麿さんの考える踊りと通ずる部分があったりして、自分にとって本当に大切な出来事でした。いろいろな所でそのような出会いがある度に、よく七頭舞や御神楽のことも思い出していて、先生方もおそらく大変な時間を費やして、関係を築いてきたんじゃないかと思ったりしていました。それこそ、その地域の子ども達は「小学校の時に踊りました」とかってあると思うんですけど、東京だと逆にそういう、昔から当たり前のように自分のそばにありましたっていう芸能とか、何か特別なお祭りとかってなかなかないですよね。だから、ああいう民俗舞踊に触れる機会っていうのはすごく貴重なことだったんだと思っています。
姪っ子が今桐朋にいて、何年か前に久しぶりに桐朋に行って七頭舞を見たんです。あれだけの生徒さん達がきちんと踊っている光景はすごいですよね。これを何年も続けていれば、僕みたいな人間も産まれるよなって納得しながら見てしまいました。僕たちの時は先生が確か先打ちをやって、男子が太刀で女子は小鳥って決まっていて他の道具はやれなかったんです。でも姪っ子のを見に行ったらみんなやっていて、めっちゃうらやましくて、当時の自分だったら何を選んだかな、とかも思いながら楽しみました。逆に自分たちの時は太鼓と笛とチャッパも子ども達で演奏して、僕は運動会の時は笛をやったんです。楽器なんか全然やったことないのに、今思えば、たぶん好きすぎて少しでも深いところに触れようとしてたのかなって思います。
そういう運動会の記憶っていうのはかなり残っていますね。今やっていることに七頭舞とか御神楽っていうのはかなり影響したと思います。今ならそこにある背景なども含めて作品にして、また踊ってみたいものです。これからも大切に踊り続けていって欲しいですね。
髙田:
授業の記憶や遊びの記憶はありますか?
田村さん:
担任は1,2年生が明石先生、3,4年生が梅根先生で5,6年生が村田先生でした。いまだに梅根先生の近況は同級生たちが教えてくれますし、梅根先生も村田先生も僕の公演を何回も観に来てくださったりしていました。
授業のことですよね。勉強のことってあまり覚えていなくて。皆さんもそんなものでしょうか…。
髙田:
何をして遊んでいましたか?
田村さん:
何してたんですかね。
団活動は最初釣り団でした。毎週柴崎にあった釣り堀に行って釣りをして直帰、というのがすごい楽しかったです。その後はしばらく野球をやって、最後は「イラスト団」というのを作って、4コマ漫画とかを描いていろいろ投稿したりしていました。そういえば電車の中ではいつも漫画を描いていたような気がします。休み時間は野外ステージでの手打ち野球とか、ドロケーでしたね。
髙田:
トーテムポールを作ったとお聞きしているのですが。
田村さん:
そうなんです! あれ確認したいんですけど、入口にまだありますか? 美術の笠松先生と6年生の最後に作りました。たしかトーテムポール自体はもともとあったもので、その背面に「桐朋小学校」と掘らないかっていうような話があって、多分あれは有志だったと思うんですけど、何人かでノミとか使って文字を掘っていったんです。それがある時に、今でも玄関の前に置いてあるっていう噂を聞いてすごい嬉しかったです。もうあれから37~8年経ってますもんね。いつか見に行きたいです。
髙田:
玄関のところに残っていますよ。
田村さん:
それは嬉しいですね。あと、村田先生が何かの時に「とにかく生き延びろ」みたいな話をされた時があって、それは今でもすごい心に残っています。キレイごとの言葉じゃなくて、ちゃんと自分たちを思ってくれている言葉でそれは子供心に響きました。そこだけを切り取ると誤解を招くかも知れないのでここでは言えないですが、僕もいろいろな子どもとワークショップなどで接する時、キレイごとではない自分の言葉を使おうと心がけるようにしています。
髙田:
先生が言った言葉が響いているのですね。
田村さん:
授業以外のことの方が心に残ってますね。学校って勉強以外のところに大切なことがいっぱいありますし。言いにくいことはたくさん覚えてるんですが。
髙田:
皆さん同じです。何か学んだという記憶より遊びや悪さの記憶が鮮明で、今考えるとそこから学んだことが今に生きてきているという感じです。
田村さん:
そうなんですよ。
ある時期毎日、行きも帰りも家と学校の間をついてくる高校生がいたりとか。さすがに親が止めに入ってくれましたけど。そういう記憶だけはいっぱいあるんです。
髙田:
でも、先生の言葉がいてそこが今の原点になっているのでしょうか?
田村さん:
すごいなってると思います。あと小学校の時に観たお芝居とかもやっぱり覚えてますね。
髙田:
小さい時から表現することに興味があったんですね。
田村さん:
興味あったんだと思います。
学級会って言うんですか? 4年生くらいの時に人形劇の台本を書いた記憶があります。最近同級生が「あの時の台本まだ持ってるよ」、とかっていうのはすごい恥ずかしいんですけど。たしか七匹の子ヤギとか赤ずきんちゃんとかいろんな昔話がミックスされているようなお話で、めちゃくちゃなお話をみんなで好きなように人形劇にしたんです。
髙田:
初演出ですね。
田村さん:
多分そうです。そういうのがすごい楽しい出来事だったんだろうなって思います。あの人形劇が舞台創作の第一歩だったんですね。今、目を閉じてもあのプレイルームの光景が思い出されます。
次回、田村一行さん-後編-は<2025年8月1日>に予定しています。
こちらのページでは、先生や卒業生の近況、また桐朋生にとって懐かしい方々を紹介いたします。
桐朋学園初等部同窓会は6,784名(2023年度3月時点)の会員から構成され、卒業生間の親睦と母校への貢献を目的に活発な活動をおこなっています。
卒業後も桐朋の教えをもつ仲間として、深い繋がりをもっていることが桐朋学園初等部同窓会の特徴です。
同期生同士の横の繋がりだけでなく、クラブ活動や課外活動等によって形成された先輩・後輩の縦の繋がりは、社会人になってからも大きな心の支えとなり、様々な場面で活かされ、その関係は一生のものとなっています。
「桐朋との繋がり」をきっかけに、更なる同窓生の交流が深まるよう、これから繋がりの深い方々を紹介していきます。