【Vol.45】桐朋との繋がり -36期 吉田 光博さん 前編-
インタビュアー:桐朋初等部同窓会 会長 髙田紀世(以下、髙田)
髙田:
今日は36期の吉田光博さんにお越しいただいてお話をお伺いしたいと思います。まず自己紹介をお願いします。
吉田さん:
桐朋小学校が36期卒業でして、高校が55期卒業になります。
私は高校を卒業した18歳で、そのまま東京消防庁に就職しまして、現在は東京消防庁の新宿消防署でレスキュー隊の隊長をやっております。
髙田:
小学校のお話からお伺いしたいと思います。どんなお子様でしたか。
吉田さん:
小学校の頃はすごく活発で、外遊びが大好きで、友達と外で遊ぶことが多かったです。
桐朋っ子あるあるですけど、コマや面子、けん玉を学校でも家でもよくやっていたのが印象的に覚えていまして、他には鬼ごっこやドロケイをよくやっていました。当時からテレビゲームなども、流行っていたと思うのですけど、このゲームにはまったく興味がなくて毎日、日が暮れるまで外で遊んでいて、自然も大好きで、泥遊びで土を掘って穴を開けたり、トンネルを作って水を流して遊んだり、桐朋の敷地を色々使ってみんなで遊んでいた印象が鮮明に残っていますね。
髙田:
その中でもどんな遊びが好きでしたか。
吉田さん:
ドロケイですかね。小学校の友達と、高校を卒業して24年経っても、コロナを除いて毎年必ず集まって、ご飯食べに行ったり、飲みに行ったりするんですけど、ドロケイを率先してやっていたと言われるので、たぶん当時はすごくドロケイが好きだったのではないかと思います。
男の子も女の子もすごい大勢でやっていたのが印象的で、みんなで遊ぶのが好きだったので、けん玉や泥遊びももちろん好きでしたけど、小学校ではドロケイが一番好きでよくやっていたと思います。
髙田:
授業の思い出はありますか。
吉田さん:
机に向かって勉強していたかというと、あんまり印象がないんですけど、これも桐朋小学校特有かもしれないのですが、自然や遊びの中で何か学ばさせてもらっているというのは、今でも覚えています。算数ですと水やタイル、木やヒモを使い、小学生に入ってきやすい楽しい覚え方ですとか、畑で野菜を育てて観察や収穫をして、具体的に体を使ってというか、五感を使って何かを体験させてくれるような、学びが多く、今になっては、それが一番の勉強になったのではないかと思います。
髙田:
高校を卒業されて消防士になられたということですが、まず消防士になろうと思ったのはいつ頃だったのですか。
吉田さん:
消防士になろうと思ったのはレスキュー隊になりたいと思ったのがきっかけでして、恐らくテレビの影響で、当時「レスキュー911」っていうアメリカのレスキュー隊のドキュメンタリー番組があって“世界まる見え”“という番組の中でやっていたのがまず一つです。もう一つが同級生が読んでいた漫画に、”め組の大吾”という消防士の漫画なんですけど、それが中学2年生ぐらいのときに友達に貸してもらって読んで、最初はオレンジ服に憧れてかっこいいな、から始まりました。だんだん調べていくうちにどんどんのめり込んでいきました。中学3年のときには英語で夢を語ってくださいという授業があったときに「My dream is firefighter」と発表していた記憶がありますのでその時期位かなと思います。
高校1年の時には、消防署に実際に行って、レスキュー隊員の話を聞きに行ったり、レスキュー隊の大会の訓練を見学させてもらったり、消防学校といって消防士を養成する学校が笹塚にあるのですが、実際そこに行って訓練を見学していました。
もうちょっとなんていうんですかね、追っかけじゃないですけど、マニアに近いような感じで、高校2年か3年生の頃には、自分の部屋に消防車のポスターやレスキュー隊のポスターを飾ったりして、モチベーションを高めて目標に向かっていました。
ただ一番の根底は、勝手ながら小学校時代にあると思っているのですけど、仲間と一緒に何かをするっていうことが、私はすごく大好きで、ドロケイもそうなんですが、何とかごっこじゃないんですけど、当時金曜ロードショーでアクション映画をよくやっていたのですが、シルベスター・スタローンとかアーノルド・シュワルツェネッガーの映画で「ランボー」や「ロッキー」「コマンドー」などの映画がやっていたのですけど、そこからランボー隊っていうチームを作って、7人いるチームでアスレチックで訓練ごっことか、トレーニングをしたりとか、ここを乗り越えられるかゲームなど、みんなでこれをしよう。あれをしよう。と言って協力してやるっていうのが、好きでした。一番の原点は仲間と一緒に何かをするというところにあるのかもしれません。レスキュー隊は1人で任務を達成することは出来ません、様々なチームがいて連携して人命を救助するというチームワークが必須の仕事なのですが、一番の原点は仲間と一緒に何かをするっていうところにあるのかなと思っています。
髙田:
学生の時から目指していたので、その頃からご自身で何か訓練などをやっていたのでしょうか。
吉田さん:
そうですね。中学、高校時代はアルペンスキー部に6年間所属していまして筋力トレーニングなどももちろんするのですが、消防士になるための公務員試験やレスキュー隊になるための選抜試験があるので、それを見据えてトレーニングをして、最年少でレスキュー隊になりたいという夢を掲げていました。レスキュー隊を目指す前の夢はジャッキー・チェンのようなアクションスターでした(笑)
進学校の桐朋出身で、大学に行く人が大半の中で、大学に行かずに高校卒業してすぐに入ろうって決めたのは、レスキュー隊には年齢制限がありまして、隊員が基本的に35歳まで、隊長は45歳までという、基準があります。大学に通うより、その4年分の現場経験を積みたいと、当時高校2年生の時に現役で試験を受けようと覚悟を決めました。
当時の公務員試験の倍率は高く、20倍を越えるものでした、試験は筆記と体力測定と身体検査がありまして、その試験に合格すると1年間全寮制で消防学校にて、消防士の卵としての基本を勉強や訓練で学びます。
髙田:
実際に最年少でレスキュー隊になれたのですか。
吉田さん:
高校卒業して、18歳で東京消防庁に入庁することは出来ました。レスキュー隊の選抜試験を受けるには、消防学校で1年間勉強と訓練をし、各所属に配属後、1年間実務経験、災害活動を経験しなければ受験資格を得ることが出来ません。実質ストレートでいくと19歳から20歳ぐらいにかけて、1回目の試験が来るんですけれども、1回目の試験は駄目でした。1年間レスキュー試験に全てをかけて、死にものぐるいで勉強と体力トレーニングをして、本番と同じ施設で試験対策を何度も繰り返し、20歳の時にレスキュー試験に無事合格して、レスキュー研修に参加することが出来ました。
髙田:
小学生からの夢を叶えてレスキュー隊になられ素晴らしいことですね。このお仕事の魅力は何ですか。
吉田さん:
一番の魅力は、自分の手で人の命を救うということだと思います。
人の生命、身体を助けるだけではなく、その人の予後も踏まえて、社会復帰させられるためにどうしたらいいのか、救出方法を選定したり、どこで救急処置をしたらいいのか、時間や天候、活動環境などを考慮して判断、決断し、救出できることが一番の魅力だと考えています。
髙田:
救出する中で、先々のことを常に頭の中に描いてるっていうことですね。
レスキュー隊をされている中でご自身で大切にしてることはありますか。
吉田さん:
仕事で一番大切にしていることは、仲間ですかね。
レスキュー隊だけではないと思うのですけど、どの仕事も部署や係、チームがあり、一人ではないと思います。上司、先輩、後輩、仲間を大事にするのはもちろんですけど、我々仕事をしていく上で、どうしても命を預け合う仲っていうことが往々にしてありまして、
このロープ1本で仲間に命を預け合うっていうのは、言うのは簡単ですけどなかなかできることではありません。消防に入る前まで育ってきた環境も年齢も違う隊員と、約5人で1つのチームになるのですけれども、個性も、もちろんそれぞれありまして、体重が90キロを超えるパワー系の隊員から、俊敏、機敏に動ける隊員、また自動車や機械、電気、建築の知識などをもった隊員もいます。災害現場は火災現場だけでなく、交通事故はもちろん、電車事故やエレベーターや機械への挟まれ、人命の危険がある全ての要請に出場します。多種多様に複雑化している建物であったり、車であったり、知識は必要不可欠なことです。知識や技術、経験はもちろん大事なのですけど、それぞれの個性や適性、得意・不得意を見極めて、隊員の力を発揮させ、チームとして最大限の力を発揮できるようにするのが隊長としての最大の任務です。
消防署では24時間、仲間と一緒に勤務しています。食事も自分達で作って基本的に消防署から一歩も出ることはできません。災害出場が入れば、基本的に1分以内で出場するというのがルールです。同じ釜の飯を食べ、全員で「人命救助」という一つのゴールに向かっているので、仲間意識ももちろん高いです。日頃から訓練や現場活動はもちろん、食事や生活を共にすることで、阿吽の呼吸ですかね、最終的には言葉が聞こえない場面でも、目で会話できるぐらいになる感覚ですね。火災現場では数十センチ先は何も見えません、炎と黒煙と灼熱の熱気がある恐怖の中、信頼できる仲間がいなければ先に進むことは不可能です。空気呼吸器を背負い、マスクを付け、声も届きにくい中、意思の疎通を図るには日頃からの絶対的な信頼関係しかありません。信頼できる仲間と人命救助という最大の任務を遂行するということに誇りを感じますし、何よりも大切にしていることは仲間とその最高の仲間と過ごす時間です。
髙田:
その仲間とうまくコンタクトを取れるようにするために工夫されてることはありますか。
吉田さん:
個人的にやっていることですけど、自分を基本的にさらけ出すことですかね。
消防は階級制度があり、厳格に上下関係が決まっています。だからこそ、本音で腹割って自分を出さないと、相手も本音を話せないと思います。本音で話せないような関係では、いいチームは作れないですからね。仕事の話だけではなく、家族や趣味の話をして、日頃からのコミュニケーションを大事にしています。
次回、吉田光博さん-後編-は<2024年7月1日>に予定しています。
こちらのページでは、先生や卒業生の近況、また桐朋生にとって懐かしい方々を紹介いたします。
桐朋学園初等部同窓会は6,571名(2021年度3月時点)の会員から構成され、卒業生間の親睦と母校への貢献を目的に活発な活動をおこなっています。
卒業後も桐朋の教えをもつ仲間として、深い繋がりをもっていることが桐朋学園初等部同窓会の特徴です。
同期生同士の横の繋がりだけでなく、クラブ活動や課外活動等によって形成された先輩・後輩の縦の繋がりは、社会人になってからも大きな心の支えとなり、様々な場面で活かされ、その関係は一生のものとなっています。
「桐朋との繋がり」をきっかけに、更なる同窓生の交流が深まるよう、これから繋がりの深い方々を紹介していきます。