【Vol.61】桐朋との繋がり -47期 大隅康平さん 前編-
インタビュアー:桐朋初等部同窓会 会長 髙田紀世(以下、髙田)

髙田:
本日は47期の大隅康平さんにお越しいただきました。
まずは自己紹介をお願いします。
大隅さん:
47期卒の大隅康平と申します。桐朋は幼稚園から入園しまして高校まで通わせていただきました。
桐朋幼稚園の入試の頃の話を両親からよく思い出話で聞きますが、私は入試の頃から親は心配する、そわそわするような行動ばかりしていたみたいです。入試の面接では机の下に潜って先生の足をつついたり、途中でトイレに行きたいと言って先生と行ってしまうような主張をちゃんとするような子どもだったみたいです。
母は「落ちたな~」みたいな気持ちだったみたいですが、当時の園長先生だった宮原先生は、私の行動を見て、自分でこういう行動をしたいっていう主張ができることは大事です。とその場では言ってくださったようです。そんなこともあり、無事に入園できました。
小学校ではずっと裸足で走って、木登りをしてといった典型的な桐朋生という感じの日々を過ごしておりました。勉強よりも遊ぶ方が好きでしたね。仙川桐朋生の特徴みたいな感じでした。
桐朋小学校の印象、楽しかったことはやっぱり運動会ですね。
学年ごとに決まった演舞を披露するために、練習を積み重ねて、その成果を発表することは、小学生だった自分にとってとても良い経験になりました。大人になっても、準備をして物事に取り組むという行動は、今でも活きていると思っています。
運動会で一番楽しかったのは、5年生で演舞したエイサーです。エイサーはずっと好きで、今でも美ら桐朋という団体でエイサーを踊っています。
髙田:
ご職業は何をされているのですか。
大隅さん:
スウェーデンの自動車ブランドのボルボ・カー・ジャパンで働いております。デジタル関係の仕事しており、主に販売店のセールスやメカニック、スタッフの皆さんが使用するお客様の管理システムの運用保守であったり、実際にお車をご購入されてお乗りいただいているお客様が使用するボルボの車と連動するスマホアプリの翻訳やアップデートに伴うUIのテストをしたりと、いろいろ多岐に渡ってやっています。

髙田:
ありがとうございます。お仕事の話もまた聞きたいですが、まずは桐朋小学校の思い出をもう少しお聞かせください。
大隅さん:
印象に残っているのは、みんなも経験した泥団子作りですかね。
いかに綺麗に磨いて綺麗な丸を作るか、保管は壊さないように下駄箱で管理するみたいなことはずっとやっていました。長期休みに入る前とか卒業する前とかに、玄関先で割るっていう。成果が実ったなみたいな。 あの瞬間は楽しかったですね。
髙田:
高学年まで泥団子を作ったのですか。
大隅さん:
六年生までずっと作っていました。まだやんの?みたいな周りの目はありました。
あと3,4年生の時にクラスでカナヘビを捕まえて飼い始めて、そこから爬虫類可愛いなと思い始めました。
で、たまたま見つけたカナヘビをちょっと家で飼いたいなと思って、学校の青いプールバックに入れて連れて帰って、カナヘビを買い始めました。
カブトムシとかじゃないの?みたいな反応は親からありましたが、カナヘビを飼いたいと言ってカナヘビを飼ったんです。基本は野生の虫しか食べなかったので、クモをよく捕まえに行っていたんですけど、クモを捕まえるのは両親みたいな。餌の確保はよろしく!って感じでした。
カナヘビを飼ったことで、生き物の命の大切さを改めて学べて、桐朋の環境のおかげだなと感じました。それから生物が好きになったっていうのはありましたね。
髙田:
大学は何学部に行ったのですか。
大隅さん:
大学は応用生物学部で生物系に進んで、大学院まで行きました。
研究室では生物学的に薬を作る創薬の研究で、私は体外循環でがん細胞を取り除けないかなっていう研究テーマを三年間研究しました。
髙田:
生物学部から今のお仕事に就職した経緯を教えてください。
大隅さん:
最初は研究職に就こうかなと思っていましたが、3年間研究メインの生活をしていて満足したなと思ってしまいました。でも生物・医学系の仕事をしたいという意識があったので、何か自分に向いている研究職ではない方向性を探しました。就活の時に色々探していた時に、医療機器のシステムに興味を持ち、システムエンジニアは面白そうだなと思い、未経験でプログラマーとしてIT企業に入りました。
当時は銀行のインターネットバンキングシステムの運用保守とかテストなどをやっていたんですけど、やっている中でセールスをやりたいなと思い、上司に「セールスやりたいんですけど、そういうキャリアアップありますか?」って聞いたら、うちの会社には無いときっぱり断られたので、「じゃあやめよう、時間の無駄だし」と思って辞めました。
それで、セールスやるには自分の好きなもの売りたいなって考えていた時に、車が好きだと思いました。
父親の影響もあったのでずっと車が好きで。じゃあ車を売ってみようみたいな発想になりました。
求人を探していたら、ちょうどボルボ・カー・ジャパンが本社直営店の募集をしていたので新車セールスとして中途入社しました。 2年弱新車セールスをやっていました。前職の経験を生かして店舗のシステムサポート等をしていたら、「本社のIT部門に欠員が出たから面接受けてみるか?」と上司から進めていただき、今に至る感じです。

髙田:
その都度その都度、自分の興味があることをやって、今に至ったのですね。
大隅さん:
そうですね。 多分桐朋で学んだからだと思いますが、興味があることはひたすらやってみるみたいなことは小学校の頃からだと思うんですけど、意識がすごく強かったです。逆に悪い部分で言ったら、興味がないこと何もやらないみたいな。
なので、受験の時も生物を選んだ理由のもう一個が、生物が好きだからずっと勉強できる。でも文系が苦手だから興味ないみたいな。
髙田:
あるあるですね。
大隅さん:
興味があることだけを集中してやっていったら、結果が今に至ったみたいな感じです。
髙田:
今の時代に大事なことですよね。興味があることを追求していったらいろんなことができるようになったというね。
大隅さん:
そうですね。恵まれた環境だったなと思っています。
髙田:
それでは美ら桐朋の活動が一番続いている活動なんじゃないですか。
大隅さん:
そうですね、一番続いています。
美ら桐朋は市川先生が退職される1年前の2003年に、卒業してもエイサーを続けたいという子供たちと一緒に踊りたい保護者の方々のために、当時の園田青年会の会長で今も運動会で地方(じかた)してくださっている宮里洋一さんに相談・協力いただいて立ち上がった団体になります。5年生になる前くらいからエイサーの練習があり、運動会で大太鼓や締め太鼓をやるためのオーディションみたいなのがあり、私は大太鼓をすごくやりたかったんですが、落ちたんですよ。その後の記憶は全くないですが、母が言うにはショックで一日学校休んだみたいです。最終的に締め太鼓で踊ることになり、それを知った市川先生が「そんなに大太鼓やりたかったなら美らに来なさい」と言ってくださり参加しました。
なので、美ら桐朋に入ってかれこれ20年以上になりますね。
自分でも驚いていて、結構飽き性なところがあるから物事が続かないことが多いですが、エイサーだけはずっと続けてられるのは、本当に好きだからだと思っています。
単純に楽しいからだと思うんですね。楽しくて続けて、5年生の終わりぐらいか6年生になったくらいに市川先生からもう大太鼓をやっていいよって言ってくださって。それからずっと大太鼓をやらせてもらっています。
髙田:
じゃあ沖縄の方にも行ったのですか。
大隅さん:
それが行ったことないです。
行かなきゃって思っていますが、タイミングが合わないみたいな。
市川先生や川上先生にも行きなさいって言われてて、行きますって言ってそのまま今に至るので。来年こそは絶対行かなきゃと思っています。
次回、大隅 康平さん-後編-は<2025年12月1日>に予定しています。
こちらのページでは、先生や卒業生の近況、また桐朋生にとって懐かしい方々を紹介いたします。
桐朋学園初等部同窓会は6,784名(2023年度3月時点)の会員から構成され、卒業生間の親睦と母校への貢献を目的に活発な活動をおこなっています。
卒業後も桐朋の教えをもつ仲間として、深い繋がりをもっていることが桐朋学園初等部同窓会の特徴です。
同期生同士の横の繋がりだけでなく、クラブ活動や課外活動等によって形成された先輩・後輩の縦の繋がりは、社会人になってからも大きな心の支えとなり、様々な場面で活かされ、その関係は一生のものとなっています。
「桐朋との繋がり」をきっかけに、更なる同窓生の交流が深まるよう、これから繋がりの深い方々を紹介していきます。

