【Vol.33】桐朋との繋がり -22期 中山 綾子さん 前編-

ゲスト    :桐朋学園初等部22期卒 中山綾子さん(以下、中山さん)
インタビュアー:桐朋初等部同窓会 会長 髙田紀世(以下、髙田)

 

髙田:
今回は22期の中山綾子さんにお話をお伺いしたいと思います。
まず自己紹介をお願いします。

中山さん:
Webディレクションに近いのかなと思うんですけれども、Web制作業務全般を行っている中山綾子と申します。よろしくお願いします。

髙田:
小学校・幼稚園の思い出や、どんな子どもだったかお話しいただけますか。

中山さん:
私はあまり記録力が良くなくて、ただ物心がついた瞬間みたいなのは覚えているのですけれど、それが小学校4年生の時にグラウンドにいた時で。あっ、今物心ついたみたいな感じで記憶しているのですが、それ以前の記憶が殆どなくて…

みんなで集まると当時の色々な話が出るのですが、クラスでこんな生き物を飼っていたよね?とか言われても、本当に覚えてなくて、そんなことあったの?と驚く事ばかりです。4年生以降の記憶が残っている部分でも、勉強や楽しくないと感じていた事の記憶はほぼなくて、本当に遊んでいた事しか覚えていない。私は音楽教室に通っていてピアノを習っていたのですけれども、それがもう本当に苦手で大嫌いだったんですね。渋々通っていたから案の定落ちこぼれてしまって。

だから、いかにピアノ教室をサボるかとか、あと家に帰ったらすぐにピアノに向かわされるので、それが苦痛だからいかに学校内で時間稼ぎするか、そういうことをすごく一生懸命やっていた気がします。

なので学校でもよく遊んでいたし、学校帰りも盛大に道草を食っていました。「若葉の森」という所に秘密基地を作ったり、友だちと仙川の橋の欄干を歩くような危険な事をやったり、また友達を連れて帰れば、ピアノの練習が免除されるので、大勢連れて帰って家で即興劇を録音したり、そういう記憶は凄くあります。だから遊んだ記憶しかないです。

髙田:
学校では他にどんな遊びされていましたか。

中山さん:
当時女子の間ではゴム段とかチェーリングみたいな遊びが流行っていた記憶があるのですが、私はなぜかそういう遊びに全く興味がなかったので、男の子達と格闘技をしたり、テレビの戦隊物が好きだったので、グラウンドで何とかレンジャーごっこみたいな事をやっていました。
それで自分が女子にカテゴライズされて、ピンク色のレンジャーとか、そういうお飾りキャラになってしまうのがすごく嫌で、ブルーとかグリーンとか格好良い役をやりたいのに!と悔しかったのはよく覚えています。あと放課後、男女混合でキックベースをやっていましたね。
あと手打ち野球とかドッジボール、ステージでケイドロなんかをやっていましたね。今はないのかなステージは。

髙田:
今ステージは、自然広場になっています。

中山さん:
そこでよく遊んでいました。

髙田:
では男の子と遊ぶ活発な子ども時代だったようですね。

中山さん:
なんかあまり活発でなかったと私自身は思っているのですけど…自分としてはおとなしいつもりでいました。

髙田:
お母さまもお嬢さまも桐朋生だったということですが、お母さまの桐朋時代についてお聞きになっていることはありますか。

中山さん:
ただ母は初等科からではないんですよね。だから中高の話になってしまうのですが母は青の学年でした。当時から体育祭は大きなイベントで、その頃から応援交歓の走りみたいなものがあって盛り上がっていたそうです。また、母の時にいらした同じ先生に私も教わって、母と同じように同じ事で怒られたりたなんて事はありました。

髙田:
お嬢様の保護者として桐朋に関わり、ご自身の時と変わったことまた逆に、変わってないと感じたところはありましたか

中山さん:
何か変わってないと感じる事の方が多かったかもしれないですね。
変わってしまった建物などもあるけれど、結構自分の頃のまま残っている部分も多いので、何かこの雰囲気とか匂いとか、校舎の光の入り方とか…なんかすぐ自分も戻っちゃうぐらい何か変わらないなっていう印象はありましたね。

あと、授業内容もあんまり変わってないって言うか。むしろ、そこはもっと変わってもいいかなと感じた事もありますが。同じことを良い意味でも変わらずやっているなって思いましたね。

髙田:
親子三代で桐朋生。親子でここは桐朋生だなって思うところはありますか。

中山さん:
むしろ、桐朋生以外を知らないんですよ。
だから他所から見てどう思うかなのかなと思うんですけれども、何でしょうね。

んー、集まるとうるさい(笑)

うるさいというか賑やかな感じですかね。
なんかノリが多分桐朋っぽいんだろうなと思いますけれども、ちょっと自分達ではあんまりわからないですね。他所で始めてあった桐朋生にああやっぱり桐朋生ですねって言われる事はありますね。

髙田:
お仕事のお話をお伺いしたいと思います。今、Webのお仕事されてますが、桐朋教育が活かされているということはありますか。

中山さん:
実は勉強のことで唯一覚えている経験があって、確か社会科の学習だったと思うのですが、班で仙川の商店街に行って、どんなお店があってどんな職種があるかを調べて、マップを作って業種ごとに色分けしたり、お店の方にお話を聞いたりとか、そういうことをやった記憶があるのです。

それで自分がたまたまフリーランスになって最初にWebサイトを作らせて頂いたのが、谷中銀座という台東区の商店街だったんですけれども、最初に何店舗か訪ねてみた時に、地図を眺めているだけでは店主のお顔もそのお店のストーリーも全然わからない訳ですが、伺ってお話を聞いてみると皆さん良いお顔をされているし、それぞれ凄く面白いお話を持っている。なんかそういうのを前面に出した方が良いんじゃないかな?とふと思ったんですね。

それで当初は店舗名と所在地と取り扱い商品だけを掲載するようなスタイルで企画が進んでいたのですが、せっかくなら店主のお写真も載せて、お店の紹介を自分の言葉で紹介してもらうみたいなことをやりませんか?と提案させて頂きました。それで60軒~70軒ぐらいお店を1ヶ月位かけて回ったのですが、小学校の時に初めて商店街を巡ってお話し聞いた時の楽しい発見を、Web上で体験して欲しいなという思いからこういう提案になった気がするのです。70店舗近くの取材というのは結構な気力体力が必要でしたけど。
小学校の時に、こういう風にお店の人たちのこと知りたいなって思った経験が活きているのかな?ってその時思いましたね。

髙田:
今も初等部で商店街の取材はやっていると思います。
桐朋初等部が大切にしている生の体験が活かされていることを実感するお話ですね。

中山さん:
職業体験でそのお店に行って1日商売を経験するような試みは、今は結構当たり前にやってるいのかもしれないですが、当時は割と画期的だったんじゃないかなって思うんですよね。特に私は徒歩組だったし、帰り道が商店街と逆の方向で、お店に寄る機会が全然なかったのですごく面白かったんですよね。商店街を歩くということ自体が。

当時は今よりも生鮮産品とかのお店も多く、色々と店先にあるものが珍しくて魚屋さんのバケツの中にホヤが入っていたり、所狭しと野菜が並んでいたり、すごいカラフルで新鮮に感じたので、そういう感動経験が何となく今も残っている気がしますね。
でも、本当に今回この話が出るまでなんか忘れていたんですね。
その商店街を回ったことなどを思い出すとやっぱり無意識に小学校のことが結構活きていますね、私の中に。

髙田:
皆さん人生のいろんな場面で、小学校時代のことが活かされているんだと思います。
Webデザイナーをお仕事にした経緯を教えてください。

中山さん:
実はこれを目指していたからなったと感じではなくて…
24~5年位前ですかね。WebデザイナーとかWebデザインっていう仕事が、まだ一般的ではなかったのですが、何かこれは面白そうだな。これから来るかもなみたいには感じていて、それまでそういうことを目指して一生懸命勉強してきた訳ではないのですが、ちょっと知ってみたいなと思って軽い気持ちで勉強したのが始まりです。

ただ、パソコンに触れ始めたのは割と早い方だったかもしれないです。
割と初期の頃のAppleのMacintoshを高校時代からいじっていて、マウスで絵を描いたりとか、何かすっごい時間かかるんですけど、1本の線を引くのも。そういう事は好きでやっていましたが、大学も文学部だったしそういう専門知識もないまま、本当に思いつきに近い感じでしたね。

髙田:
やり始めたらどんどん楽しくなっていったという事ですか。

中山さん:
そうですね。どんどんはまっては行きましたね。
それも成り行きに近いのですけど、元々は会社で事務仕事をやっていたのですが、その会社で時流に乗ってホームページの開設も検討し始めて、ちょうどその時にWebの学校に通っていたので、それで私作れます!と手を挙げちゃったんです。作ったこともないのに…そこからですね。

髙田:
では当時はまさかここまで続けていくお仕事になるとは思わなかったのですね

中山さん:
当初は時限的にと思っていたのですが、1つ作ったら何かどんどん紹介で繋がっていってしまって。
とにかくやった事が無い事でも「出来ます!」とつい反射的に手を上げてしまう癖があって、それがすごく自分の足を引っ張ってもいるのですが、そういう事を繰り返していくうちに、どんどん繋がって行って今に至っているって感じだと思います。

髙田:
お仕事の内容について差し支えなければ、もう少し詳しくお聞かせ頂けますか。

中山さん:
色々な企業とか学校とかのWebサイトを制作する、職種で言えばディレクションでしょうか。
お客様との打ち合わせ内容を元にどういうサイトを構築するか決めると、案件ごとにチームを組んで、大抵はデザインも私が行い、イラストレーターやカメラマンにビジュアル面を担って頂き、プログラマーにプログラム関係をお願いしてサイトを完成させるというのがおおまかな流れになります。そして制作後のサイト運営などもお客様と一緒に考えていくという仕事です。

髙田:
中学生のハローワークのインタビューもされていますね。

中山さん:
あれは趣味に近いです。
ハローワークの方は、娘が中学生になった頃に、ご存じのように私は自分自身が本当に成り行き任せみたいな感じでこの仕事に就いたので、娘には本当に自分の好きなことを見つけてそれを突き詰めて行って仕事にして欲しいなという思いが芽生えたんですね。

いろんな職業の人と実際に会ったり話を聞いたり、あるいは職場に行って仕事の様子を見たりする中で、これは面白いかもと思えるものを見つけてもらいたいなという思いがありました。
だから中学生の子達を連れて大学の研究室に行かせてもらったり、テレビ局の中に入れてもらったり、実際に映画を観て撮った監督のお話しを聞いたり、そういうことを試しにやってみたのです。仕事とは直接関係ないですけど自分もいろいろな現場を知れて勉強にはなりましたね。

髙田:
とても面白い記事なのでリンクを紹介させていただいていいですか。

中学生のハローワーク(外部ページに飛びます)

中山さん:
学校も含め、そういう機会がもっとたくさんあればいいなって思っています。今でも。
それの影響かちょっとはわからないんですけども、娘は今自分の好きな仕事、映像監督をやっていますね。

髙田:
お嬢様は好きなことをお仕事としていらっしゃるのですね

中山さん:
まあ、まだこれから変わるかもしれないですけど、今は大好きだから、辛い部分があってもやっているけるみたいな事は言っていますね。
あと弊社ではインターネット向けの映像制作等もやっておりましてチベットテレビの映像制作等も手がけています。

髙田:
面白かったです。

次回、中山綾子さん-後編-は<2023年5月1日>に予定しています。

こちらのページでは、先生や卒業生の近況、また桐朋生にとって懐かしい方々を紹介いたします。
桐朋学園初等部同窓会は6,571名(2021年度3月時点)の会員から構成され、卒業生間の親睦と母校への貢献を目的に活発な活動をおこなっています。
卒業後も桐朋の教えをもつ仲間として、深い繋がりをもっていることが桐朋学園初等部同窓会の特徴です。

同期生同士の横の繋がりだけでなく、クラブ活動や課外活動等によって形成された先輩・後輩の縦の繋がりは、社会人になってからも大きな心の支えとなり、様々な場面で活かされ、その関係は一生のものとなっています。

「桐朋との繋がり」をきっかけに、更なる同窓生の交流が深まるよう、これから繋がりの深い方々を紹介していきます。