【Vol.36】桐朋との繋がり -40期 中嶋 涼子さん 後編-

ゲスト    :桐朋学園初等部40期卒 中嶋涼子さん(以下、中嶋さん)
インタビュアー:桐朋初等部同窓会 会長 髙田紀世(以下、髙田)

 

中嶋涼子さんとのインタビューの後編です。
前回のインタビュー<前編>はこちら

髙田:
そんな心地よいアメリカから日本で、車椅子インフルエンサーになったのはどのようなきっかけがあったのでしょうか。

中嶋さん:
きっかけは、映画の仕事に日本で就いて夢叶ったのに、全然楽しくなくて毎日通勤電車に乗りながら、すみません。って言って人ごみの中に走っていって、エレベーターに乗ろうとしても通勤中だから、みんなこうエレベーターへ走って乗っていっちゃうんですよね。

で、私は車椅子でちょっと遅いから乗り遅れちゃったりしてエレベーターを待っていると10分くらいたって、それで遅刻しちゃったりとか、自分は車椅子だからエレベーターしか乗れなくて、歩ける人も乗っちゃう時に歩けるのになんで乗るのみたいな怒りがこみ上げてきて、人に対しての怒りばかりで、毎日みんな歩けよとか思いながら、みんなエスカレーターか階段使えばいいじゃん。と思いながら、怒ったりですごい疲れちゃって、そういう怒りだったり、疲労感がすごいまま会社に着いて、そこから仕事してるからちょっと疲れていってしまって、どんどん日本がアメリカみたいに行きやすかったらいいのになって思いながら、そんな日々を過ごしてたんですよね。

誰かが変えてくれないかなって思いながら、たまたまFacebookで同年代の障がいを持った女子の人と出会う機会がありまして、たまたま私がコメントをして声を掛けたら、会いませんかって言ってくれて、車椅子障がいを持った30歳以上の女性が集まる女子会をするんですけど、来てください。って誘われて、行ってみたんですよ。

そしたら、そこでたまたま隣になった女性が筋ジストロフィーっていう進行性の病気を抱えた方で、IBMで働いてる外資系のキャリアウーマンの方で、障がいを持ってて外資系で私も働いてたので、何か外資系で働いている障がい者の人に初めて出会ったから、仕事の話などしたいなって思って、魅力的に感じて病気を聞いたら、私の病気は進行性で今は歩いてるけど、そのうち車椅子になった寝たきりになるんだよね。って言ってて、私車椅子に乗ったらもう何もできないと思ってたけど、涼子ちゃん見たらすごい楽しそうで勇気出たわありがとう。って、その人が言ってくれてすごい嬉しくて、でも私にとってはその人が進行性の病気を抱えながら、外資系のキャリアウーマンで、休みの日はシンガーソングライターとして人前で講演活動したり、歌ったりしてるって聞いて、かっこいいと思って。

この人みたいになりたい。ってすごい背中を押されて、私は別に進行するわけでもないし、足が動かないだけで、なんで日々こんなに毎日怒ってたんだろうと思って、自分より障がいが重いはずのこの人の方が、全然人生楽しんでるなと思って。

だったら、自分ももっと楽しめるはずって思って、考え方がちょっとずつ変わっていって、私は何かしたいって思いながら、そしたらその人に車椅子だけど、格好いいと思ってもらえるようなグループを一緒にやらないって誘ってもらえてやりましょう。っていうことで、会社に行きながら、その人たちと仲良くなった車椅子4人ぐらいで活動を始めたんですよね。

ちょっとアイドルみたいな「車椅子ガールズ」っていう題名なんですけど、4人で公演をして歌って踊ってっていうことをしだしたら、初めて人前でそういうことをしたんですけど、そしたら見てくれたお客さんが笑ってくれて、拍手してくれた時に、すごい嬉しくてで終わった後に見た人から、なんかすごい前向きになりました。とか、私も何かやってみようと思いました。っていうお客さんからの声を聞いた時に、自分がタイタニックを見た時に思ったことを言ってくれて、もしかしたら映画ではないけど、この車椅子ガールズの活動を通して、自分がタイタニックにもらったようなパワーを誰かに伝えられるかもしれないと思って、これをもっとやっていたら社会は変わるかもしれないと思って、もっとこの活動をメインに生きていきたいなと思って好きな映画の仕事なんかしてる場合じゃないなと思って、もっと行きやすくなってから好きな仕事すればいいやと思って4年前の2007年の12月に会社を辞めようと思って辞めて、その車椅子ガールズになったのが10月なんですけど、そこからすぐもうやめようと思ってすぐ辞めて12月には辞めていて、2008年から本格的に車椅子インフルエンサーとして人前に出てしゃべるみたいなことを始めたんですよね。

その筋ジストロフィーの女性の影響がすごい強くて、グループで活動してたんですけど、歌ったり踊ったりは自分の中で、アイドルには向いてないなと思って、もっと私はしゃべる方が好きだなと思って、かわいい感じでやるより面白い人でいたいと思ったから、面白い人として、しゃべっていきたいなって思いだしたのが2008年ぐらいで、そこでYouTubeを立ち上げて一人で活動を始め出したんですよね。

だんだん一人の方が自由にできるし、ということで、グループを卒業みたいな感じになって、2019年からずっと一人でおしゃべりをメインに活動してるんですけど、人前でしゃべることによって私が、誰かにもらったときみたいなパワーを誰かに与えられてたら、すごいうれしいし、当事者の人たちにそれだけじゃなくて障がいなんか関係なくて、興味がないと思ってる人にとっても、気になってもらえたら、障がい者の人の謎というか、壁みたいなものを知ってもらうことで、壊せていけたら、その障がい者と健常者の壁ってなくなっていくんじゃないかなと思って、社会が変わるってそういうことなのかなと思って、今すぐ活動し始めたっていう感じです。

この4年間がすごく濃くていろんな活動をして、いろんな人に会ってしゃべって、ちょっとずつ変わってる気もして、2年前にパラリンピックがあったおかげで、ちょっとだけ障がい者だったり、マイノリティーと呼ばれるLGBTQの方とかにもフィーチャーされる機会が多くなっていて、テレビとかでも取り上げられるようになって、社会が変わってきている気がして、たまたま私は運良く、その時にインフルエンサーをやってたからかもしれないんですけど、変わってる感じがすごい嬉しくて、もっとやっていきたいなって思いますね。

髙田:
素晴らしい決断であり活動だと思います。桐朋教育が自分の力になっているなと感じることはありますか。

中嶋さん:
今から思えばめちゃめちゃ原点だと思っていて、桐朋で今校長の中村先生が1、2年の時に担任だったんですけど、言われた言葉が涼子ちゃんは粘り強いね。ってすごい言われていて、当時からけん玉がすごい好きだったんですけど、ずっとやってたんですよ。

休み時間ずっとやっていて、すごいうまくなっていたんですけど、好きなことに対しての集中が異常に強いみたいで、それをブレずにずっと続けていくみたいなのが、私の中ではあるみたいで、映画に出会って映画が好きすぎてアメリカに留学して、映画学校に入れたこともそうですし、夢が叶ったけど、生きづらくてそんな時に出会った人と、その発信活動っていうことを始めて、あと社会を変えてきたい。車椅子のイメージを変えたい。っていう目標に向かって、この4年ぐらいずっとやってるんですけど、いろんな人から初めて会社を辞めてインフルエンサーになるって言った時も、何それ。インフルエンサーになれるの?ってすごい言われて、信じてなかったんですよね。

留学する時も、車椅子なのに大変じゃない?とか、留学は結構反対されたんですよ。
中高の先生とかにも、大変でしょ?親御さんはいいの?とか反対されてもこう私はやりたいし、私はできると思って、信じてやってるだけで周りの声を気にせず、好きなことを貫いたら形になっていて、今も勝手に車椅子インフルエンサーって自分から言い出して、4年間やってたらちょっとずつ浸透していって、ちょっとずつ社会も変わってる気がして、形になってる気が自分でもしていて、それは諦めないで、ただ好きなことを追求するっていうのは、桐朋の特徴だと思ってて、中高の時も受験前なのに、みんな文化祭があるから、文化祭のために受験勉強しないで、文化祭のことばかりやって、それが終わったらみんな急に切り替えて、受験勉強していて結構みんないい大学とか行くんですよね。

そのなんか短期集中みたいな、集中するとすごい出来て、やろうって思ったことはやるっていう考え方は桐朋のおかげで培ったんだろうなとすごい思いますね。

髙田:
そうですよね。桐朋生は何事も一生懸命やって、やり切ったら次に行くというところありますね。

中嶋さん:
それですよね。何か好きなことを大切にしてくれる教育で自由ですよね。

でも、逆に社会に出て、すごい自由だねとか、変わり者扱いを凄いされるんですよ。すごい言われる機会があって、だからこそまあいいんだと思っていて、自分はそうじゃなくていいと思ってて、ちょっと社会では普通の人より変わっているかもしれないですけど、それくらいが面白いんじゃないかなと思って。本当に感謝しています。

髙田:
今後やってみたいことはありますか。

中嶋さん:
私は小3から車椅子に乗っていて、車椅子っていうと、おへそから下の感覚はないんですよ。なので、排泄障害みたいなものもあって、トイレが分かんないんですよ。

だから時間おきに行っていて、いつも休み時間に行ってたんですけど、飲み過ぎてしまうとおしっこを漏らしてしまうこととかもあって、大人用おむつをずっと着けてて、でもそれはさすがに言えなくて、3年生の時とかはずっと隠してきて、そのままずっと大人になるまでみんなに隠してて、今も多分みんなに隠してるいるからみんなは知らないと思うんですけど、ずっと大人はおしめをしてるのが、恥ずかしかったんですけど、最近他の障がい者の仲間とかが増えてくると、普通にみんなしてるから気軽に言えるようになってきて、一回誰かに言うと、すごい気が楽になって、おしめをしてます。って言えるようになって、尿漏れはします。排泄障害があります。って言えるようになったら、すごい楽になったんですけど、元々大人用のおしめって、やっぱりおばあちゃんとかイメージがあって、買うのも恥ずかしいし、してるのも恥ずかしい。っていう社会の概念があると思うんですよね。

それを壊したいと思っていて、大人用のおしめのCMに出て、すごい格好良くCMに出たくて。

格好良くおしめを宣伝して、おしゃれなアイテムのようにしてしまえば、別に付けてても恥ずかしいとは思わないと思うし、お店で買う時も恥ずかしいと思わないし、隠れてコソコソ買う必要もないと思うし、そういうお洒落な大人用のおしめのCMに出たいっていう夢がすごいあります。

髙田:
いつかCMが来るような気がします。

中嶋さん:
出たいですね。
メディアにもっと出て、車椅子の人が当たり前にテレビに出てて、その車椅子が日常ぐらいにみんなの中でなっていったらいいなって思ってますね。

髙田:
車椅子のイメージだけで人とは違うと区別しがちですが、今までのお話から区別することではないと強く感じました。

中嶋さん:
確かにそうかもしれないですね。
何か興味を持ってもらえてだし、たまたま障がい者で、障がいって何?みたいな感じで、そこから障がいから入らなくても、私のたまたまYouTubeが面白くて見てたら、車椅子に乗っている人だったっていう後付けでもいいと思うし、なんかそうやって目に触れてもらう機会があればいいのかなって思えます。

髙田:
後は、私たちが車椅子のかたを見かけたらどんなお手伝いをしたらいいのか、
どういう声をかけたらいいのかを教えてください。

中嶋さん:
そうですね。何かアメリカ人のように気軽に手伝いましょうか。って言ってくれると、たまに今でも駅とかで電車に乗る時に手伝いましょうか。と押しましょうか。って言ってくれる人がいて、その日は一日中幸せな気分になるんですよ。

で、その押してくれた人とどこ行くんですか?とかって喋ってて、仲良くなった人とかもいて、そこで会話が生まれてお互い楽しくなると思うんですけど、本当にそのたった一言でいいなと思っていて。

でも、車椅子に乗ってる人によっても、いろんな人がいるから声かけた時に、いいです。とか言って、こう冷たい人もいると思うんですよ。だから声かけたのに冷たくされたら、もう怖くなって声かけられない。って思っちゃう人もいっぱいいると思うんですけど、大半は私のように声をかけてもらえたらすごい嬉しいので、諦めずに声かけて欲しいなってすごい思います。

髙田:
素敵なお話をたくさん聞かせていただきました。
最後に桐朋の同窓生たちに伝えていきたいことをお話しください。

中嶋さん:
桐朋で得た友達だったり、自由な生き方だったりは、社会に出てからは殆ど学ばないと思うし、そんな面白い変わった人と出会う機会もあんまりないと思うんですよね。

で、今でも私は桐朋生がすごく好きで、たまに会わないとすごいストレスが溜まるんですけど、みんな揃って言うのが何か社会に出ると変わり者扱いされるよね。って言ってて、それぐらいみんな変わっているけど、すごい頑張ってる人がいっぱい居て、周りのみんなも結構活躍している人が多くて、それを見て私も刺激をもらうんですけど、なんか桐朋生って何だろうな、それを自慢するわけでもなく、みんな気づいたら、すごいことをしてるみたいな人がいっぱいいて、でもみんなそれが普通で、それって本当に学校生活でただ自然と得たことだと思うんですけど、それってでも桐朋にいても気付かなかったんですよ。

卒業して大人になってから、社会に出てやっと気づいて。桐朋生らしさっていうのが社会に出てから気付くと思うんですけど、自由なことだったり、好きなことを大切にすることだったり、桐朋生の仲間を大切にすることだったり、壁がないっていうのかな。みんな壁がない気がして、そのことをたぶん今後卒業して、社会に出たら感じると思うので、是非その桐朋にいたことを大切にして欲しいです。

それを社会に出て、潰されないでほしくて、社会に馴染むためにそれを消す必要はないと思っていて、それを大切にして自由に生きてほしいなって、そしたら絶対に周りと違う、何かが成し遂げられる気がするので、ぜひ桐朋らしさは捨てずに、皆さんの好きなことを貫いて活躍していってほしいなって思います。

髙田:
とてもパワーのあるお話をありがとうございました。これからの中嶋さんの活動も楽しみにしております。

中嶋さん:
こちらこそありがとうございました。

次回、卒業生のインタビュー記事は<2023年9月1日>に予定しています。

こちらのページでは、先生や卒業生の近況、また桐朋生にとって懐かしい方々を紹介いたします。
桐朋学園初等部同窓会は6,571名(2021年度3月時点)の会員から構成され、卒業生間の親睦と母校への貢献を目的に活発な活動をおこなっています。
卒業後も桐朋の教えをもつ仲間として、深い繋がりをもっていることが桐朋学園初等部同窓会の特徴です。

同期生同士の横の繋がりだけでなく、クラブ活動や課外活動等によって形成された先輩・後輩の縦の繋がりは、社会人になってからも大きな心の支えとなり、様々な場面で活かされ、その関係は一生のものとなっています。

「桐朋との繋がり」をきっかけに、更なる同窓生の交流が深まるよう、これから繋がりの深い方々を紹介していきます。