【Vol.12】桐朋との繋がり -古谷 一郎先生<後編>-

ゲスト    :古谷 一郎先生(以下、古谷先生)
インタビュアー:桐朋学園初等部同窓会 会長 坂口佐代子 (以下、坂口)

 

古谷先生へのインタビューの後編です。

古谷先生:
ひとつエピソードがありましてね、
沖縄に旧盆のお祭りがありまして、三日三晩の夜中を踊り通すというエイサーで、町を練り歩くんですが、夕方の6時ぐらいから出発して、深夜2~3時ぐらいまでずーっと踊ってね、それ三日三晩続けてね。そして公民館に帰ってきたら、そこで宴会が始まるんですよ(笑)
朝の6時ぐらいまで3時間ぐらい飲み通して、朝はラジオ体操をやって、それで一旦家に帰って、寝てから、また町に出てきて、それを三日三晩やるんですよ。私も3~4年程付き合ってやったんですけども、まあそういうところから、そのエイサーの良さとか、民舞の良さなどを知ることができましたね。
地元の中に入らないと、その良さってのが本当にわからないと思いますね。
ここまで地元の人達が大事にしてて、生活に密着してるんだ。という、それを授業に取り込んで同じようにはできないですけども、その空気というか雰囲気というか、我々は感じて、できるだけそれを伝えたいなぁと、楽しさを子どもたちに伝えたいなと思って今まで続けてきたんですね。

それで、市川先生が退職前に始められた美ら桐朋も、お子さんが一緒に入ってきたお母さんも一緒に始めて、今ではもうお子さんはクラブとかで出れなくなったのに、お母さんだけ残って一緒にやっている方とか、もうお子さんが30歳ぐらいになっていて、お母さんも50歳近くのお母さんも何人か残っていまして、その方も一緒に残って踊っているというところです。
子どもたちは、年によってですが、いっぱい入ってきたり、入らなかったりとありまして、一人で入ってくることはなかなか無いですね。何人かで入ってくるとぞろぞろっと入ってくるんですけども、本人たちはやりたいんですけれども、子どもたちは日曜日もサッカーや野球など色んなスポーツをやってるとかしてるので、それと重なって来れなくなってしまって出たいんだけど出れないという子が多いですよね。
私はあと2年半、東京オリンピックの年まで勤めるということで、その後は正式に退職するんですけども、どの様な人がやるにしても、これからも引き継いでいってほしいと思います。

他にいい踊りがあれば、またね、いろんなことを自分で発掘して、そして教える本人が納得して、これは子どもたちに伝えたいなという踊りであれば、別にエイサーや七頭舞を続けることもなく、また新たに開拓していってもいいと思うんですね。それぐらいの意気込みがあってもいいかなと思うんです。
ですけど、もう今までずっと20年以上っていうか、30年近くなんですけど、続けてきて伝統になっているので、それに代わる踊りを見つけるのは大変でしょうけど、それぐらいの意気込みでいってくれたらいいかなと思っています。
私は今言ったように、エイサーや七頭舞にはそういう想いがあるので、残って欲しいなと思いつつも、メインはその時々の子どもたちが、本当に気持ちが充実するっていうか、そっちに向くっていうか、やる気が出て本当にやってよかったなっていうか、身体に染み込むようなものであればいいなと思うんですね。
幸い、桐朋小学校には他にも民舞に関心を持って取組んでいる先生もいるので大丈夫だと思っています。

坂口:
たくさんの先生が民舞に関わっていたんですね。

古谷先生:
そうなんですよね。
特に市川先生一人だけではなくて、その前に東京民舞研を立ち上げたのが中高の村瀬先生でして、村瀬先生は日本舞踊とダンスの先生だったんですけれども、村瀬先生の旦那さんが和光高校で体育の先生をやってたんですけども、その先生たちが中心になって東京民舞研を立ち上げたんですよ。それは東京教育大学の先生方を中心にして、そして同志会という体育研究同志会というのが全国区域であるんですけれども、その体育を通しながら子どもたちを生き生きにさせる研究をやってるグループなんですけども、その中の民舞のグループがあって、それで立ち上げて和光と桐朋にそれぞれの人たちが来ていて、その流れで今があると。皆さん東京教育大学の出身の人達なんですね。そのなんだかんだで市川先生から刺激を受けて、そして私が小学校時代に教えた滋野さんが入ってきて、私の後を引き継ぐと。で途中、東京民舞研にいた川上さんが転職してこの学校に入ってきてね、不思議な繋がりがありましてね。
だから、こういう地元に行っても本当にその人と人との出会いというのは、強く感じます。それが強くないと本当にここまで続けられなかったかなって思います。話は戻りますけども、最初に行った24~5年前に、その東京民舞研を中心にしながら、20~30人の先生が沖縄の方に研究の為に行っているんですね。盆踊りを見たいとかね。その時に今は亡き、和光の平野先生って人がいたんです。東京民舞研の中心になって、和光小の校長まで勤めた方なんですけど、和光の踊りを中心になってやっていた人で、その方が私が沖縄の民宿でたまたま同じ部屋になってね、園田青年会が桐朋小学校の運動会。当時10月10日に行われた運動会でね。その次の日に日立のシビック祭があって全国から有名どころの踊りを集めて、そういった祭りあるんですけども、園田青年会が桐朋小学校の1日後にそこに行くことになっていて、平野先生からそれを聞きつけて、私は会長に掛け合って1日早く学校に来てくれないかということでそれが実現して、そのシビック祭の中心となってる、主催の荒馬座の方なんですけれども、その方にも相談してね、飛行機代は桐朋が出さなくていいから、前泊するその東京での費用とかを桐朋が持ってくれれば大丈夫だよ。ということで承諾を頂きまして。1日早く20名の青年を招くことできました。
ちょうど1ヶ月の前の9月の職員会議の中で、臨時でお願いをしましてね。
最近ではそういうのは通らないですよ(笑) なぜかその時は通ったんですね(笑)

それで20名を呼んで、市川先生と運動会の前日練習が終わった後、羽田まで迎えに行って20人を五反田のゆーぽーとに泊めることができて、その近くの白木屋で夜中の2時過ぎまで接待して、夜中帰ってきて次の日の運動会に出たとか(笑)
そういうことをしながら園田青年会と深い繋がりができまして、その流れで今でも運動会の1日前から、会長を中心に青年会から2名の方が来て頂いて、前日練習を見ていただいて、そして本番では生演奏にしてくれる。そういう関係作りもできてね。

坂口:
やっぱり子どもたちの踊りは変わりますか?

古谷先生:
子どもたちは変わりますよ。
私はそれまで教えているんですけども、青年会の方が言ってることとあまり変わらないんです。
やはり、地元の兄々達が来て迫力ある踊りを生で見せたりすると、憧れの目で見ますから、そして私と同じようなこと言っても変わるんですよ、ガラッとね。なにか空気が変わるような感じですね。
掛け声とか太鼓の音とか変わるんです。悔しいけども嬉しいです。
会長がよく言ってくれるんですけど、それは先生の教えがあってからこそ1日前に我々が来てそれができるんです。と言ってくださいますけども(笑)

だから本当に、子どもたちに生の本物を見せるって事は、本当に素晴らしいことだなと。だから、できるだけ本物を見せたいなと思うんですけども、日程の都合とかお金の件とか色々あって、そんなにたくさんの他の保存会の方をお招きすることができないんですけど、荒馬の方は東京在住の青年がもう10年以上前から接触していて、必ず来てくれて。当日叩いてくれたりとか、時間があれば前日来てくれているんですけど。そういうところで、できるだけ子どもたちがその本物を見て触れてほしいなと。これはもう言葉には代えられないですね。見るだけでも全然違いますから。

坂口:
今年の運動会の前日にも来ていただくことは決まっているんですか?

古谷先生:
はい。お願いしました。
今年の運動会の前日に2名のホテルと飛行機は取りました。

坂口:
前日に最後の気合注入をするんですね!

古谷先生:
そうなんです。
その子どもが変化する瞬間を見ると本当にゾクゾクっときますよね。
なんか教師冥利に尽きるっていうかな、その楽しみがあるのでずっと続けてこれたのかななんて気もしますね。
本当にそういった人との繋がり。それからたくさんの前任者の流れを引き継いで来ながら、今があるんだなぁと思うと、自分一人ではない。みんなでやってこれたんだっていうところで、本当に不思議な縁を感じますし、幸せも感じますね。

坂口:
素敵なお話をありがとうございます。最後の質問ですが、
既に社会で活躍されていたり、これから活躍される”桐朋っ子”に向けて一言について頂けますか。

古谷先生:
桐朋っ子は、我々がいつも根っこにおいているのは「幸せな子ども時代を」ということをいつも思っていて、子どもたちがいかに充実した小学校生活を送るか、そして小学校楽しかったな。という一言が卒業生から帰って来た時に、我々はすごくその幸せっていうか、充実感というか、やってよかったなーって思うんですね。
だからそれがいつまでも続けるような桐朋であって欲しいと、中村校長を中心にしながら今でもその思いを毎年毎年確認しながら、子どもたちに伝えていこうということで、いろんな手を変え、品を変え工夫しながら、それぞれの人が取り組んでいると思うので、だからここで育った子どもたちっていうのは、ある意味自分が思いっきり遊べた、楽しかった小学校時代がありますから、どんな辛いことがあってもそれを糧にしながら、きっと乗り越えられいけるだろうという風に我々は信じたいし、信じていますので頑張って欲しいなと思っています。

坂口:
お忙しいところ、お時間を頂きましてありがとうございました。

古谷先生:
こちらこそ、ありがとうございました。

次回は滋野 真優先生にインタビューをして、色々なお話をお伺いしたいと思います。
次回の掲載は<11月20日>に予定しています。

こちらのページでは、先生や卒業生の近況、また桐朋生にとって懐かしい方々を紹介いたします。
桐朋学園初等部同窓会は6,094名(2017年度3月時点)の会員から構成され、卒業生間の親睦と
母校への貢献を目的に活発な活動をおこなっています。
卒業後も桐朋の教えをもつ仲間として、深い繋がりをもっていることが桐朋学園初等部同窓会の特徴です。

同期生同士の横の繋がりだけでなく、クラブ活動や課外活動等によって形成された先輩・後輩の縦の繋がりは、社会人になってからも大きな心の支えとなり、様々な場面で活かされ、その関係は一生のものとなっています。

「桐朋との繋がり」をきっかけに、更なる同窓生の交流が深まるよう、これから繋がりの深い方々を紹介していきます。