【Vol.40】桐朋との繋がり -服部先生 後編-

ゲスト    :桐朋学園初等部 服部先生(以下、服部先生)
インタビュアー:桐朋初等部同窓会 会長 髙田紀世(以下、髙田)

 

服部先生とのインタビューの後編です。
前回のインタビュー<前編>はこちら

髙田:
たくさん印象的な思い出が出てきましたね。
服部先生といえば「美味しい算数」いうイメージです。どういういったきっかけで始まったのでしょうか。

服部先生:
桐朋小学校の算数テキストを作ってこられた、森先生や武藤先生・森田先生たちがすでに以前から取り組んでこられていたことでした。そう言う点で全国的に見ても先進だったと思いますね。ぼくもそういった先生たちと小学校の中で算数を担当していました。自分自身が、授業で取り上げたり周りの人に勧めるようになったのは、先輩たちからの引継ぎといくつかの民間教育研究団体で学んだことからだったと思います。

授業で最初にやったのは、3年生のわり算の授業でした。
1Lのジュースを班ごとに1本あげるので、それでそれを3人で等しく分けてみましょう。すると「1ℓは3人じゃ分けられないよ」等という人も出てきますが、班ごとにやってみます。うまくできたらみんなで分けて飲んでもいいよ。そうすると皆一生懸命にやってみるんです。見事にどの班も3つのコップに等分できるわけです。このようにわり算ていうのは「等しく分けること」なんだということをみんなで確かめて、ジュースで乾杯となるわけです。

6年生の「単位当たり量」の授業では、美味しいっていうのを数学的に表すってことができるのかっていう課題があるんですよ。濃度の学習ですが、どのくらいの濃度だと一番美味しいって感じるかっていうのを数値で表してみるということ。

カルピスの薄いのから濃いのまで、いくつか作って、昔だから、みんな自分のストローを持ってきて、ちょっとずつ飲んで回るんです。「これが一番美味しいです」「こっち濃いな」とか、実際に飲んで比べるんですよ。そうしてやってみた感覚と計算して出した答えを比べてみる。すると濃さや美味しさが数値化できるんだ!っていうようなことをやりましたね。

桐朋小学校の算数テキストの基になったのが、「たのしい算数」っていうタイトルだったんです。面白いなとか興味が湧くようなものっていうのをそういうのを取り入れて、授業を作っていこうっていうのは元々あったし、食べ物を使ったりすることも元々あった学校なんですよね。

時代の流れと先生たちの個性から「美味しい算数」なんて洒落た名前がついたんですね。

授業で扱ったものを食べるのは、算数に限らずやりますね。例えば、理科でべっこう飴とかカルメ焼き。美術でモデルになった果物をとか、いろんな教科でいろんな工夫や楽しみを作っていると思います。「美味しい算数」に限らず、そういう伝統っていうか、校風っていうか、いいところなんだろうなって思うんです。

髙田:
自分が生徒としていたときはわからなかったですが、子どもの授業参観から先生方が決して通り一辺倒じゃない、授業に対するたくさんの工夫を感じました。

服部先生:
逆に同じってできないよなっていう感じはしますけどね。
数年前、算数と社会だけを6年生とか5年生で専科的にやった経験ですが、本当に東西2クラスで同じように準備して、同じように問いかけてるはずなのに、その授業の展開っていうか、うまくいったり、おもうようではないわき道にそれたり、すっと進んだところなのに、もう片方のクラスでは、立ち止まって考えたり、それぞれにやっぱり違い出ますよね。

数年前のことですが、5年生の理科でのこと。木村先生は毎回石を持ってきて、授業の初めにこの石はねってみんな見せてくれていろんな話をしてくれるんですよ。それをきっかけに石に興味を持つ子たちが幾人もいたりとかね。

さらに、2月ぐらいのクラスのまとめの会では、その理科の先生に自分がなって、みんなに問題を出すからといてねっていう形で発表した人たちもいました。驚いたことに一昨年も5年生でそれと同じような発表をしている子がいましたね。何かそういう子どもたちが引きつけられるものって専科の先生って持ってるんだよなって思いますね。

髙田:
そうやって桐朋の個性がある子たちが、また個性を伸ばせるように育っていくのだと思いました。

服部先生:
学校でやった授業や活動で得たものを子どもたちって、色々な形で家に持って帰るじゃないですか。作ったものであったり、お話であったりとか。その時にお家の人たちがそれをどういうふうに見てくれるっていうか、子どもたちと話してくれるかとか、何かそういうことによって、そこにいる子どもたちの理解とか、受け止め方とかっていうのが、変わってくるっていうか、深まってくることってあるんだろうなっていう、そんな気がしていて。

以前保護者に聞いた話ですが、国語の授業で物語を少しずつ1枚ずつのプリントを使ってに読んでいく授業でした。その子はうちに帰ると、「はい。これ読んで」って言って、先生になってお母さんに授業をやってくれるんですって。それがお母さん自身もすごく楽しみですごく面白かったって言ってくれたんだけど。そういうふうに子どもがこうだったよっていうことが言いやすい家庭であったりとか、そこに乗ってくれる家族であったりすると、その人の理解っていうか、あるいはその楽しみみたいなものが膨らむんじゃないかと思うんです。

一般的には学校と家庭が連携して、などというんでしょうが。お互いの関わりがある中で、子どもって育ってるんだろうなっていう感じがしますね。

学校だけじゃないですよね。家で育ってるところってたくさんあるんだよなって、決してそれは躾とかそういう意味だけじゃなくてね、子どもたちの、そのいろんな物事を理解する力とか、学校だけで完結する物じゃないんですね。家の中でも自然に作られてるっていうのかな。そんな気がしますね。自分が家庭をもったり、子どもができたりすると、見方が変わってきますね。

髙田:
親としては我が子が学校で楽しく過ごしてもらうのが一番の願いです。なのでこんな楽しいことがあったよと子どもが話してくれるのは、嬉しいと思いますね。卒業生で子どもを入れる方が多いのも自分が楽しい思いをしたからというのがあリます。
その楽しい学校にするには先生のご苦労がたくさんあるだろうなと保護者になったらわかりました。

服部先生:
自分が授業の準備とかに時間をかけたり、あるいはちょっと大変だなと思いつつ何か作ったりとかするんだけれど、それ嫌なこと辛い事というより自分の楽しみなんだなっていうふうに感じることも出てきました。だから幸せなことだと思いますね。その仕事をすることが自分の楽しみとかに繋がってるんだって思えるってすごくいいなって思えますね。

髙田:
そういったことが、授業で子どもたちに伝わっていくんだろうなって思います。
先生は今年退職されて、今後はどのような活動はされていくのでしょうか。

服部先生:
3月に退職して。
4月になったら、何か全然今までやったことのないような仕事を、週に4日とか5日働いて、好きな事にも時間をたっぷり使って、などと考えていたのに、実際は仕事もしていないし好きなことにたっぷり時間もかけられていないですね。

ぼやぼやしているわりには、週に何日かはやる事があって、今大きい課題は「むさしの子どもまつり」って言って、これはぼくの子どもが保育園とかに通っているころから関わっているもので、1年に1日都立武蔵野中央公園の広場を半分ほど借り切って、そこにいろんな人たちが、子どもが遊ぶコーナーとか、舞台作ったりするイベントを作るんですよ。去年3年ぶりでやったんですが、去年、2,000人ぐらい集まってくれて、コロナ前は多い時は5~6,000人とか集まるんですが、そんなのやっているので、月に何回かその準備のための打ち合わせとか、いろんなコーナー出してくれる人たちとも2カ月に1度ぐらい実行委員会などあるので、そういう予定がポツポツ入ってるんですよね。夜とかね。夜に予定が入ると、泊りがけでどっかに行くことできなかったりとか、そのための準備にプリント作らなくちゃとかってなってしまっていて、今日も午前中プリント作ったりしていて、パソコンを広げて仕事してるのと同じじゃんっていうような感じなんですが、そんなふうなボランティアをしていますね。

あとは学校で合宿のお手伝いとか。そんな感じで、ポツポツと他にもこちらに来てお手伝いするようなことがあれば、月に一、二度来るって感じですね。今度は運動会もお手伝いに来て、受付とかきっとやっていると思いますね。

髙田:
忙しいですね。

服部先生:
そうなんですよね。
そういう点では仕事もしてないのに忙しいって何なんだみたいな。
基本は専業主夫なんですね。朝起きて洗濯したり、掃除したり、その後は何か様々な準備しなくちゃいけないことであったりとか、たまにはちょっとお散歩したり、自転車乗ったりとかしないと、体がなまっちゃうから。そういう生活をしています。

髙田:
好きな山に行ったりいろいろできるのはいいですね。

服部先生:
そうですね。山歩きとか面白いけど、丹沢や八ヶ岳あたりでも、すれ違う人は、ぼくより遥かに年上の人が多いですね。数前からですが、北アルプスの白馬岳とか唐松岳とか行くとさすがに若い人が目立ってくるんですが、ブームといっても中高年の方が多いですね。この数年雪山といっても八ヶ岳ですが、今までの山歩きとは違う緊張感や楽しさがありますね。

髙田:髙田:
最後になりますが、桐朋っ子に向けて一言をいただけますか。

服部先生:
ぼくが就職した年の7月の毎月職員会議があるんですが、もう数日すると夏休みっていうときに、その頃幼稚園から短大までのその校長だった生江先生が小学校の職員会議があって、途中で退席されるときに言われたことは、今でもよく覚えているのが、夏休みは先生方も「よく遊べ。よく遊べ」ですからねと言われたんですね。

その後に聞いたのですが、なぜよく遊べ。よく遊べ。なのかっていうと、それは決してその奇をてっているわけではなくて、夏休みとかね、そういうときに、自分の好きなこととか、得意なこととかっていうのを、一生懸命に時間をかけて、余裕を持ってやることで得ることがすごくあるでしょ。それが授業とか、そういった子どもたちに跳ね返っていくものなんだから、せっかくの長い休みなんだから、普段もできるようなことをするんじゃなくって、普段はできないような、いろんな、しかも自分が好きなことをしっかりやることが大事だと思うんだって言われていたんですね。

だから、「よく遊べ。よく学べ」じゃなくて、「よく遊べ。よく遊べ」でいいんだよ。っていうふうなことを言われていたのが印象的で、桐朋小学校の子どもたちも、ぼくは同じなんだろうなって思っていて、学校で勉強して、塾行って勉強して、ずっと勉強漬けなだけじゃなくて、このときはしっかり遊んじゃおうよ。っていうことができるといいなっていうのは、先生たちもそうなんだけど、子どもたちもそうだし大人もそうなるといいなって思っています。大人も子どもも「よく遊べ。よく遊べ」

髙田:
本日はありがとうございました。

服部先生:
こちらこそ、ありがとうございました。

次回、卒業生のインタビュー記事は<2024年2月1日>に予定しています。

こちらのページでは、先生や卒業生の近況、また桐朋生にとって懐かしい方々を紹介いたします。
桐朋学園初等部同窓会は6,571名(2021年度3月時点)の会員から構成され、卒業生間の親睦と母校への貢献を目的に活発な活動をおこなっています。
卒業後も桐朋の教えをもつ仲間として、深い繋がりをもっていることが桐朋学園初等部同窓会の特徴です。

同期生同士の横の繋がりだけでなく、クラブ活動や課外活動等によって形成された先輩・後輩の縦の繋がりは、社会人になってからも大きな心の支えとなり、様々な場面で活かされ、その関係は一生のものとなっています。

「桐朋との繋がり」をきっかけに、更なる同窓生の交流が深まるよう、これから繋がりの深い方々を紹介していきます。