【Vol.29】桐朋との繋がり -21期 藤 明里さん 前編-
インタビュアー:桐朋初等部同窓会 会長 髙田紀世(以下、髙田)
髙田:
今回は日本国内初めて女性の旅客機長となり、私の同期でもある21期の藤明里さんにお話をお伺いしたいと思います。まず、自己紹介をお願いします。
藤さん:
現在、私は日本航空株式会社にいてボーイングの737型機という飛行機の機長をしております。
また、現在所属している部署が訓練部の737飛行訓練室で、インストラクターをしております。訓練内容は副操縦士になる初期訓練から機長に昇格するもの、他の機種からの移行訓練、定期訓練と多岐にわたります。
髙田:
いつ頃からパイロットという職業につきたいと考えていたのか教えてください。
藤さん:
自分で明確になりたいと考え始めたのは、やはり高校を卒業する前ぐらい、自分の道を見つけなきゃいけないという時からだったんですけど、何年か前の桐朋小の同窓会で、同窓生に『小学校の時にパイロットなりたいって言ってたよな』って言われたんです。だから小学校の時に、もうなりたいって言ってたことがあったんだと、同窓会で知りました(笑)
でも明確に自分で記憶しているのは高校ですね。高校2年の時、特に何か身近にパイロットの人がいるわけでもなく、ただ飛行機という乗り物が好きで、住んでいたところが、ちょうど高校時代は八王子だったので、横田基地に離着陸する飛行機がよく見えて、ああいいなって空を見上げていました。
髙田:
どうしてパイロットになりたいと思ったのですか?
藤さん:
そうですね。未知の世界でどんなものか分からなかったのすが、、、
でも乗り物が好きであるということ、あと空も好きですし、ただ感覚的にもしかしたら面白い仕事なのではないかっていう。直感だけですね。それでなりたいと想い始めて。
で、アメリカに結局大学を出てから渡ったんですけども、アメリカで飛行機の免許を初めて取った時に、これはやっぱり仕事として私に向いてるんじゃないかっていう勝手な思い込みからその道に進むようになりました。
髙田:
アメリカに渡ったのはなぜだったのですか?
藤さん:
もともと私の時代では日本国内で旅客機のパイロットになる道というのが、航空大学に行くか、あるいは大学を出て自社養成というカリキュラムで航空会社に入社するか、もう一つ自衛隊からの割愛というものがありました。それで航空大学を受けようとしましたところ、身長が大分足りなくて受験できず。
自社養成についても、当時はちょっと女性は遠慮させて頂きます。みたいな感じでエントリーもできずに、じゃあ、まずはアメリカでライセンスを取って、自分はパイロットってどんなものかを知ってみてからにしようかなっていうところがスタートでした。
髙田:
今は他にも道があるのですか?
藤さん:
今、私みたいに自費で、他所で基本的なライセンスだけ取って、エントリーするという道は開かれてますね、また航空大学以外でも多数の私立大学で飛行科ができてそこを卒業してエアラインに就職という道もあります。
髙田:
パイロットになりやすくなってきたのですね。
藤さん:
そうです。今はもうなりやすくなっていると思います。まさにパイロットも足りなくなってくると言われている時代ですので、会社としてはどうしても欲しい方になって、売り手市場って言えるんじゃないかと思います。
髙田:
現時点では女性パイロットって何人ぐらいいるのですか?
藤さん:
女性パイロット、これ難しいんですよね。
例えば、日本国内たくさん航空会社があるんですけども、大きく分けるとJAL系やANA系となるのですが、自分の所属している日本航空だけで、もう訓練生含めて30人以上いますし、訓練生含まないと実際にチェックアウトしている人は30人弱ぐらい、そのほか子会社とかグループ会社でもだいたい会社に一人や二人多いところで10人いるので、もう100人以上はいるんじゃないですかね。
髙田:
まさに女性パイロットの先駆者だったことで、藤さんは素晴らしいと思います。
パイロットになるためにも、そしてまた女性パイロットとしてでもいろんな苦労があったと思いますが、桐朋初等部の教育が仕事の上で活かされたなと感じることはありましたか。
藤さん:
それはすごくあったと思います。っていうのは、桐朋小学校のとき、私は編入で入ってるんですけども、その入るきっかけとなったのがみずから何か手を挙げて質問をしてたって母親が言うんですよね。自分で率先して何かする元気のいい子の集まりっていうのが桐朋なので。
さらには変な概念を植え付けない教育というのが、私は今になって良かったのではと思います。例えば女性はこうしなきゃいけないというのを全く言われなかったし、あとは「これをしちゃだめ、あれをしちゃだめ」っていうダメダメっていうものがなかった。
まずは自由に自分の発想を持って動いてみて、失敗から学ぶこととかも尊重してた教育ではないかなって思っているんですよね。そういったところが桐朋の特徴で、それによって自由にできたところが私の基盤じゃないかと思っています。
髙田:
高校の文化祭で藤さんと一緒に、バザーをやったのを覚えてますか?
横田基地の飛行機の写真を藤さんが販売していて、私は買う人いるのかなと思っていたのですが大人気で一番最初に売り切れちゃいましたね。その頃の写真にも飛行機愛が溢れていました。自由にさせてくれた学校の環境が個々の個性を育てるということでも良かったのかなと思っています。
藤さん:
そうですね。結局、桐朋小学校から桐朋女子中高一貫して、もともとは生江先生から始まってますけども、とにかく何でもやってみなさいっていうような教育だったんじゃないかなって思います。
髙田:
それがパイロットになろうということに結びついたんですね。
パイロットになる過程で一番大変だったことを教えてください。
藤さん:
一番これは大変だったっていうのはですね。だいたいの訓練は大変だったりはしたんですけども。
機長昇格訓練の時は、結構大変だったのかな。はい、大変だったと思います。
というのは、会社としても初めて女性機長を作るというところで、すごく慎重になる部分とイケイケどんどんな場面とか、あとはやっぱり変な言い方すると応援してくれる人と、アンチな人っていうのはどうしてもいて、そういう中でどっちかっていうと応援してくれている人たちは、すごくよく声をかけてくれるわけじゃないですか。だからそれに応えなきゃいけないというプレッシャーがありました。体調管理や精神面での自己管理違があり、そこは大変というか、一生懸命キープすることだけを考えて走り続けた感じ、今思うとああよく失速せずに走ってたなっていう感じですかね。
髙田:
そして今大変なことはありますか?
藤さん:
仕事していて大変なことはそうですね、今は教育部門にいますので、全て教育関係のフライトしかないんですね。
また、その教育は様々でパイロットの卵を育てるところや、機長昇格の過程、様々な種類の訓練を行なっていて、個々人に合った教育をしていかなきゃいけないというところでは、どう伸ばしていくか悩んだりとか、人対人なのではあるので上手くあったものを見つける、気づきを与える、そういうところですかね。
髙田:
逆にパイロットになって良かったなって思うことはありますか?
藤さん:
この仕事をして今20年以上経つんですけど、全然飽きないというか。
うーん、ずっと続けていたいって思う仕事というところですかね。
髙田:
どんなところが飽きないのでしょうか?
藤さん:
うんそうですね、飽きないところを考えると、まず天気は毎回同じではなくて、例えば今日だと天気はあまり良くなくて、上空もすごく揺れたりしていて、揺れない部分を探してキャビン内のサービスをどう行うか考えたり。
空港が荒れてる時、上空での巡航が揺れている時、夏場は台風や積乱雲、冬は雪だったりとか、とにかく、まず天候がさまざまあって、そこでも考えさせられることいっぱいあるし、新しいこともいっぱいあるので飽きないですし。今日は機材トラブルがあったのですが、じゃあ定刻に出すためにどうやってみんなと協力し合って解決するかという、そういうチームビルディングの部分でも飽きないですし、あとはさまざまな要素があって、あげるとキリがないんですけど、とにかくそういった同じではないところが飽きないと思います。
次回、藤明里さん-後編-は<2022年12月1日>に予定しています。
こちらのページでは、先生や卒業生の近況、また桐朋生にとって懐かしい方々を紹介いたします。
桐朋学園初等部同窓会は6,571名(2021年度3月時点)の会員から構成され、卒業生間の親睦と母校への貢献を目的に活発な活動をおこなっています。
卒業後も桐朋の教えをもつ仲間として、深い繋がりをもっていることが桐朋学園初等部同窓会の特徴です。
同期生同士の横の繋がりだけでなく、クラブ活動や課外活動等によって形成された先輩・後輩の縦の繋がりは、社会人になってからも大きな心の支えとなり、様々な場面で活かされ、その関係は一生のものとなっています。
「桐朋との繋がり」をきっかけに、更なる同窓生の交流が深まるよう、これから繋がりの深い方々を紹介していきます。