【Vol.8】桐朋との繋がり -武藤 昭先生<後編>-

ゲスト    :武藤 昭先生(以下、武藤先生)
インタビュアー:桐朋学園初等部同窓会 会長 坂口佐代子 (以下、坂口)

 

武藤先生へのインタビューの後編です。

坂口:
先生にとって桐朋学園の初等部はどのような想いがありますでしょうか。

武藤先生:
そうですね。
ぼくが桐朋に入ったのは、22歳の時でした。上の人は二つ三つ上の若い先生たちから10歳から20歳上ぐらいの方たちがいらっしゃって、精力的な実践家がいたと記憶しています。
一番、思ったのは本当に初めての人間に対して「こうしろ」「ああしろ」とか「これがいい」「これやめなさい」とかそういう規制っていうのは基本的になかったと思います。
つまり、やりたいことを自由にやりなさいということが基本にあって、実践できていたかなと思います。
だからもしかすると、先輩たちは冷や冷やして見ていたかもしれないです。だって教室に子どもたちが捨て猫を連れてくるんですよ。まだ赤ちゃんですよ。それを飼いたいって言ってくるんですから(笑)
猫なんてどうするんだよ……飼ったこともないし……と思っていました。それで、幼稚園に行ったらウサギを飼っていた小屋があって、そこにバスタオルを敷いて、そこに猫を寝かせるんですよ。本当は母猫が必要じゃないですか。
そこで子どもたちはどこかで調べてきたのか、目覚まし時計を置いておくって言うんですよ。そうすると、チッチッチッと時を刻む音がするじゃないですか、それが母猫の心臓音と似ているから安心するんだって言うんですよ。

牛乳を持ってきたりして自分たちで育てていたのです。育てていたって言ったって、放課後になったら子どもたちは帰えるんですよ。ぼくは夜に行ったりすると、ミャーミャー泣いているんですよ(笑)
それで1学期間飼っていて、夏休みに入るので「みんなどうする」って聞いたらうまくいかず、結局4年生子どもたちとの八ヶ岳合宿の打合せがあって、その時の合宿グループの子どもたちに猫の話をしたら、好きだから飼いたいって言ってくれる人がいて、電話をかけてOKをもらって安心しました。もしだめだったら八ヶ岳に連れていこうかなと思っていたんですよ(笑)

次は犬です(笑)
エスという犬ですね。これも大変でした。学校に紛れ込んできた犬です。
犬小屋みたいのを作ったのかな。昔の木造校舎の職員室の脇に犬を置いて面倒見てね。みんな当番制でご飯を持ってきて、味噌汁にご飯とか。今では考えられないですよね。そういうのをお弁当とは別に持ってくるんです。

次第にうるさいだろうからって遠慮して、今の野外ステージのところに置いていたんです。吠えるというか鳴く時もあったんですね。この辺に住んでいる人もいたし、今じゃ考えられないけれど、当時は桐朋学園は自由に出入りができる学校だったので、通り抜けていく人もいたんですね。そこで危ないんじゃないかと言われて。
夏休みも子どもたちは通い続けていました。ぼくも近くの寮に住んでいたので、子どもたちも家に来て、一緒に付き合ってたりしました。

それで4年の最後までいて、犬をどうするかって話になって、みんな持って帰れないってことになった。
次の学年の5年生が、東中西の3クラスで当番を決めて、自分たちで炊飯器でご飯炊いてあげていたのです。その後、卒業期に音楽の先生が引き取って頂いたんですね。
そういうなんていうかな、今じゃちょっと考えられないことがいっぱいあったんですよ(笑)

本当は、冷や冷やしながら先輩たちや保護者の方たちがすごく見守ってくれたって言うかな。
当時もアヒル飼っているクラスがあって途中でやめちゃったんですが。
数年経って「桐朋の教育構造」を考えるっていうことで、子どもの現実から出発して、いろいろなものを育てる「生産的活動」、例えば栽培活動の必要を考えたりしました。それと体を動かす体育ということだけではなく、集団的スポーツをやる「運動活動」っていうのは必要だと。また、表現活動の重要性も語られました。それら三活動、今の教育や子どもに欠落していることで、通常の教科の中だけでは補えないこととして、発展してものの一つが、生産的な活動、いわゆる「栽培活動」ですね。

自由に使える畑でやったのではなく、開墾から始まりました。昔、音楽科の寮だったところ、今校宅があるところですが、開墾から始めました。基礎であったコンクリートの塊がゴロゴロと出てきました。そういうことから進めていったのです。(笑)

生産活動の中に、犬とか猫じゃなくて、本当に生産できるような、例えばヤギとか鶏とかを飼って、卵などを短大に売りに行くとか、そういうこともいいのではないか、と真剣に議論しましたね。
物を作るというのは、別にそのそういう動物とか植物を育てる作物を育てるということだけじゃなくて、昔、校庭のそばに粘土質の土があったのは覚えていますか?覚えていないかな。その土を使って、ちゃんとした茶碗作ったりして、食器を作ろうなどとも考えた。
子ども達はそういうものを作る活動、生産活動をして、それを売ろうとしたんですけど、さすがにそこまでできなかったんです。結局栽培活動で畑を開墾して作って、何回か売りにいきましたよ。食堂も喜んでくれて、職員室とかできゅうりとかを売っていましたよ(笑)
そういうようなことを自由に作っていくということなど、すごく印象的で覚えていますよ。

今も残っていますよね。栽培活動は。
それから、表現する活動で演劇とかね。演劇は悪戦苦闘しながら表現する。また詩を書く、作文を書くなど、それは教科国語の中できちんとやろうっていうことになりました。演劇は今でも総合活動のなかに残っています。

運動活動っていうのは、当時5、6年生の時には、野球なら野球だけでなくて、いろんなことができるようになろうということでした。球技でサッカー、バレー、バスケ、ハンドボールなどやっていましたよね。そのグループに分かれて中高部の先生にもお手伝いしてもらって、集団的スポーツ活動を体育の授業でやってました。学期ごとに種目をかえて体験する。
ものを本格的に育てる生産活動。表現活動で今でも残っているのが演劇活動。運動的な活動をする運動活動。そういうことを、子どもには何が大事なのかということを深く議論し合いながら作っていきました。
教育実践をする自由。そういうのが大事にされていた。今でもそれは繋がっています。

坂口:
子どもたちも自由でしたが、先生たちも自由だったんですね。

武藤先生:
そうだったと思います。
端的にいえば「教育の自由」ということで、伸び伸びとやってきたんじゃないかな。
そのような風土があったのを今でも覚えています。

坂口:
確かに今でも覚えているのが、収穫祭と演劇の発表会とマラソン大会ですね。
あんまりお勉強した記憶がないですね(笑)

武藤先生:
いや、しっかりと勉強してたと思いますよ(笑)
それともうひとつ印象深いのは、子ども団活動ですね。今で言うとクラブ活動や児童会活動ですね。
当時は4年生以上だったかな、クラブ活動は、先生たち全員が動いていて、足らないと中高の先生たちにもお手伝いをいただいていていました。
それを、だんだん時間数とかで厳しくなってきて、5、6年生だけに移った。
ある時から、同好会活動に変わって、自由にやれるようになって、やりたくない人はやらなくてもいいとなって、坂口さんが4年生の時に消えたんですよ。縮小されたのです。4年生からは入れないって。怒ったんですよ、子どもたちが。
ちょうど坂口さんたちが6年生なって初めの頃でしたが、6年になってクラブ活動をやめて、自由な同好会活動を5、6年だけにしようとなった。自由選択にして同好会活動をどんどん縮小していこうとなり、興味あるものだけを追求するんじゃなくて、体育で運動活動なんかやってるじゃないですか、色んなことやってていくこと、それでいいんだっていう考えがあったのですね。

その後、どういうことが起きたかと言うと、四月当初、初等部通信が出でてね、そこに<同好会活動の中止について>というのがあった。それを子どもたちが見ているんですよ。いつもは見るはずがないんだけど、それは大変だ、何とかしなきゃいけないって動いたのです。
それで、6年生になった初めに、それをどうしようっていう時に議長団選挙があったんです。
公約を掲げて、それは「先生たちが勝手にやって、自分たちやりたかったことを潰してしまった」と声を上げていきました。「4年生からでもできていいんじゃないか。おかしいんじゃないか。ぼくたちの声を聞いてくれ」と。それだけでも意味がある公約だと思いましたね。
そして、みんなで考えたのは、『やりたくてたまらない活動を、自分たちの手でする子ども団をつくろう』っていうのをスローガンに立候補したんですよ。E君が。結果として、9割以上の支持を得て、当選したんです。
それだって今思えば、ぼくは職員会議では無くすという方向で賛成したわけですよ。それに従わなければならないじゃないですか。その後、そのスローガンを具体的にどうするのかを考えるために、E君がぼくがいる寮まで来ました。日曜日に(笑)。
それは今でも子ども団という名前で今でも残っているんです。

教師集団の中では決議した一人ですから、普通に言えばどうなるかってそれはありますよね(笑)
でもぼくは子どもに動かされてね、何とかして職員会議に話して働きかけをしたと思います。
先生たちは「やっぱりそうだよね」って子どもの側に立ってくれたんです。最初はなかなかたいへんな子ども団活動でした。
坂口さんは演劇団の団長でしたよね。演劇団でいったら団員が何回欠席したらやめさせるって言ってたんだよね。
団員に厳しかったよね(笑)

坂口:
人に厳しかったんですね(笑)
先生、よく覚えていらっしゃいますね。

武藤先生:
一緒に作ってきたことは忘れないですよ。
今から、もう60年ぐらい前ですかね?

坂口:
先生、そんな前じゃないです。今57歳です。

武藤先生:
そっか(笑)

話は子ども団に戻るけど、当時子どもたちは先生がたに顧問についてくれなくていいって言われたんですよ。
でも、外に出なきゃならない子ども団もあって。例えば、地図探検団があったんだけど、それを子どもたちだけで出来ないじゃないですか。それは好きな先生がいて一緒にやってくれたりとか、釣り団とかもね(笑)
ぼくなどサッカーとか野球とかバスケなど複数を見てたとかね。先生が付かないとこもあったのだから。それはだんだん、ちゃんときちんと人数を考えて、中高の先生も手伝ってもらえるのも限りがあるから、そういうことで作っていきました。何人以上で成立するとかね。そういうことが脈々と今も続いているのが素晴らしい学校だなと感じます。

坂口:
さっきの話に戻りますが、猫のお話で目覚まし時計の話がありますが、
インターネットが無い時代によく調べましたよね。

武藤先生:
ぼくはわかりませんが、たぶん図書館で調べたりとか親に聞いたりとかしたんじゃないですかね。
それから、学級のなかの班活動に校外研究グループを作っていったりしました。これは子どもたちだけではすごく怖いことじゃないですか。
あるグループでは、プラネタリウムに行きたいとかあったのです。当時は渋谷にしかなかったのですが、計画書を作ってきてね。どの電車に乗るとか帰りは電話をするとか約束事を決めて。
今じゃ考えられないけど、どこどこの展覧会に見に行くとかね。子どもたちだけでね。

今思うと子どもたちには枠をはめてしまって、がんじがらめにするよりも、怖いけれども一歩踏み出させるっていう。そういうことが今の子どもたちには必要ではないかと思います。色んな安全などの配慮はしながらですけどね。

やっぱり、今の子どもたちにとって、そうゆう自由を求めたりとか、冒険を求めたりの活動自体が、次第に個人的なスマホとかテレビゲームとかそういうところに追い込まれていってると思うんですよね。
あるいは学力という一つの測れる部分で、桐朋小学校っていうことじゃなくて、例えば、受験のためのものに走って行くという、そういうものを全否定するわけじゃないんだけど、さっきの猫の話じゃないんだけども、自らで獲得していくエネルギーとか、創造していく力とか、手を組んで連帯する力とか、何かを実現する力を自由の中でどんどん獲得していてほしいと思いますよね。

ぜんぜん話は違いますけど、今年度から桐朋幼稚園で初めて3年保育ができたんですよね。
ぼくらはその時代を経験しているはずなんですがその時代のことを覚えていない。また我が子に1、2、3歳で関わってるのとちょっと違うんですよね。

そうするとね、いろんなことなんか分かってきたりとか、単純に言うと面白いですよね。3歳児って初めて僕は幼稚園として会ったので、すごく興味深いですね。当たり前ではあるんですけど、こんなおじいさんでもそっと寄り添ってくるんですよ。つまり頼る人に頼る。頼られた人は一生懸命やるじゃないですか。そういうもとになる経験がそこにはある。

本を読んでって言ってくるだけど、一生懸命に渡された本を読みますよね。だけど3歳児にとってはストーリーはどうでもいい。絵を見てるんですね。その次はどんな絵がでてくるか、絵に興味があって見ているんですね。そいう発見ですね。

ぼくは社会的には一人の寂しい老人だけど、なにか小さな子どもの役に立ってるっていうかな、遊びたいとかおしっことか言うんですよね。なにか役に立てたっていう想いがあって、こんな老人でも嬉しいですよね。喜びですよね。

それから、小学生でも1年生ぐらいから、絵本の朗読とか週一回お昼ご飯食べ終わったぐらいにやっているんです。ずっと待ってくれているのです。一週間にいっぺんでも。担任の先生に、「今日ムトセン来るかな」って言ってたりするって聞いて、嬉しいですね。

それはとても嬉しい。
なんだろ、ぼくなど人見知りで、マンションの知らない人にか挨拶とか、立ち話できないでしょ。散歩していたってもちろん一人でしょ。散歩の途中で仲間になるなんてあまりない話だから。散歩途中でお花とかみると、いつも心の中できれいだな、などと話していたりします。一人でいるのもいいけれど、寂しい時もあります、この年になると。

でも、一週間にいっぺんでもそういう幼い子との体験があるのは、ちょっと張り合いになりますよね。
なんだかちょっと自分の人生の話になっちゃいましたけど。

坂口:
誰かが待っていてくれるというはとても素敵ですよね。
桐朋っ子に対してこれからの未来へ向けての応援メッセージを頂けますか。

武藤先生:
小学校だけでなく、中高や大学で学んださまざまな力がみな備わっていると思います。
自由に向かっていく精神だとか、一人ではできないことをコミュニケーション取りながら、友だちや会社の同僚など、共に手を取り合って力を発揮する。連帯する力とか、やり遂げる実行力とか、桐朋っ子はそういうことを本当にやれる人たちだと思うのです。
そういうふうに、ここで学んだことを活かして、いろんなかたちで進路、生き方というのは、自由に自分で選び取るものだから、活かしてほしいと思っていますし、大変な世の中だと思いますが、頑張ってほしいなと思います。

坂口:
ありがとうございます。
最後に、今人生の歩みの中で上手くいかないなとか、迷ったり挫折したり、悲しんだりという桐朋っ子に、今の局面を前に進みたい!と悩んでいる桐朋っ子にアドバイスを頂けますか。

武藤先生:
自分でとことん悩みぬくことも大事ですが、やはり家族とか友人とか先生たちに話せるならば、話をしてみて、そのヒントをもらうこともすごく必要かなって思います。そういうところから、得られるものはあると思います。
自分が好きな本とかね。そこからヒントをもらうこと、いろんなことからヒントをもらって。ヒントはひとつじゃないのだろうと思います。
でも生身の人間同士で語り合っていく中で、不安とか悩みに対してのヒントをもらって、乗り越えていくことなのではないかと思います。

<編集部よりお知らせ>
先日、2018年6月9日-10日に秋葉原UDXビルで開催されました<第3回 全国「山の日」フォーラム>において、6月9日(土)の第3部に、ご登壇された武藤先生の様子をこちらのページで公開しています!是非ご覧ください!

 

次回は依田功先生にインタビューをして、色々なお話をお伺いしたいと思います。
次回の掲載は<7月20日>に予定しています。

こちらのページでは、先生や卒業生の近況、また桐朋生にとって懐かしい方々を紹介いたします。
桐朋学園初等部同窓会は6,094名(2017年度3月時点)の会員から構成され、卒業生間の親睦と
母校への貢献を目的に活発な活動をおこなっています。
卒業後も桐朋の教えをもつ仲間として、深い繋がりをもっていることが桐朋学園初等部同窓会の特徴です。

同期生同士の横の繋がりだけでなく、クラブ活動や課外活動等によって形成された先輩・後輩の縦の繋がりは、社会人になってからも大きな心の支えとなり、様々な場面で活かされ、その関係は一生のものとなっています。

「桐朋との繋がり」をきっかけに、更なる同窓生の交流が深まるよう、これから繋がりの深い方々を紹介していきます。