【Vol.69】桐朋との繋がり -特別編 同窓会会長座談会

自己肯定感を育む桐朋学園での学び

再発見した桐朋の魅力を伝えたい

11月15日に、8部門の同窓会が一堂に会する合同同窓会(「桐朋8(エイト))を開催するにあたり、各同窓会の会長8名に、桐朋で学んだこと、改めて知る桐朋の良さ、そして「桐朋8」への期待を語ってもらいました。

日時:2026年3月21日 14時~
場所:桐朋女子 仙川ポロニア館3F会議室
対談参加者:
桐朋学園同窓会会長 尾﨑治夫(桐朋高等学校 1970年卒)
桐朋会会長 千葉裕子(桐朋女子高等学校 1973年卒)
桐朋学園音楽部門同窓会会長 篠﨑史子(桐朋学園大学 1969年卒
桐の音会長 金田恵美子(桐朋学園芸術短期大学音楽専攻 1982年卒)
桐朋学園演劇科同窓会会長 佐野圭亮(桐朋学園芸術短期大学演劇専攻 1989年卒)
桐風会会長 遠藤百合子(桐朋女子高等学校 1970年卒/旧桐朋学園大学短期大学 1972年卒)
桐朋小学校同窓会会長 髙田紀世(桐朋小学校 1980年卒/桐朋女子高等学校 1986年卒)
桐朋学園小学校同窓会会長 名取穣治(桐朋学園小学校 1970年卒/桐朋高等学校 1976年卒)


左から)名取穣治、髙田紀世、遠藤百合子、千葉裕子、尾﨑治夫、篠崎史子、金田恵美子、佐野圭亮(敬称略)

「何をやってもいいけれど、責任を持つことを自然と学んだ」尾﨑治夫

尾﨑治夫会長(尾﨑):桐朋では、個性のある先生方が生徒を見守ってくれました。中学生の時から、何をやってもいいけれど自分の行動には責任を持つことを自然と学んだような気がします。高校に進学すると、数学の授業は能力別に分かれるのですが、そうしたことが何の抵抗感もなく行われていました。なぜなら、すべての科目が能力別ではないから。能力別の授業が終わるとまたホームルームに戻って他の教科を受ける。様々な方向性を持った仲間が、授業ごとに混在し、だからみんな仲がよかったし、それがおもしろかった。

桐朋にはいろいろなタイプの人がいて、それぞれがユニークです。型にはまった人が少ない。おそらく、今日お集まりの同窓会の会長の方々も、個性豊かで自由に育ち、今も、いろいろなことに挑戦されているのだと思います。

千葉裕子会長(千葉):尾﨑会長のお話を伺っていて、私の体験も似ていると思いました。私は、幼稚園から中高まで14年間仙川に通いました。大学の4年間だけ別な所に通い、教員として母校に戻りましたので、私の人生はほとんど桐朋生活になります。

桐朋では、体育祭、合唱コンクール、文化祭など、それぞれ自分の得意なことを披露できる場がたくさんありました。

私自身は、陸上部に所属していましたが、欲張りな私は、いろいろ首を突っ込みました。それを見ていた同級生が、「山田さんは走るのが速いだけじゃないんだね」と発見してくれる。それがうれしくて、挑戦してみる気持になりました。

尾﨑:ユニークな先生として、桐朋学園の理事長も務められた山下明先生は忘れられません。山下先生は、ちょうど私たちが中学1年の時に桐朋に赴任されてきました。最初の挨拶がロシア語の「ハラショー」でした。「お前たちもハラショーで挨拶しろ」と。そんなところも、桐朋はとても自由でした。

「音楽部門は愛と厳しさの両方が満ちていました」篠崎史子

篠崎史子会長(篠崎):尾﨑会長と千葉会長のおっしゃった個性豊かで自由に伸び伸びとといった校風は、音楽部門だけのことだと思っていました。

私は11期生ですが、今思い返しても1期生、2期生からもかわいがっていただきました。当時から卒業生の学校愛が強くて、10才も下の後輩のことを陰ながら見ていてくださっていましたね。

一方で、音楽部門の礎を築かれたお一人である齋藤秀雄先生は、とても厳しかった。私はハープ専攻でモルナール先生に師事していましたが、齋藤先生に副科で指揮を習っていました。授業中にぼんやりとした瞬間、「花嫁修業をやっているのではないんだ!」と怒られたこともありましたね。愛と厳しさの両方が学校に満ちていた気がします。

金田恵美子会長(金田):私たちの世代の短大音楽専攻では、声楽とピアノの両方を学ぶことが必須でした。学部の先生方が私たちを教える機会も多かったので、高いレベルで授業を受けていました。

当時、林康豊先生が、「君たちは、音楽の裾野を広げる役割を果たしなさい」と。「音楽は、みんなが楽しんで、学ぼうという人たちがいることで、トップが生まれる。その土台をつくるのが君たちの仕事だよ」と言われました。ですから、私は今でもずっと家でピアノを教えています。歌とピアノの両方を学べたことは、とても役に立っています。

佐野圭亮会長(佐野):演劇専攻は、かなり特殊なイメージを持たれていると思います。

桐朋の演劇専攻に入学した瞬間、クラスの全員がライバルになるのです。教授から「君たち学生として入ってきているが、学生気分は今すぐなくしてください」と言われるのです。「新入生が60人いますが、その授業料は1人の有名な役者をつくるために払っているのです。誰もが、その一人が自分だと思いますが、一人も出ないかもしれない。そういうところに、君たちは身を置いているのです」とも言われました。

仲間に演技力で追い抜かれても誰かが助けてくれるのではなく、そこからどうやって這い上がり、役者としての精神力を付けていくのかを身につけることが、僕がいた頃の桐朋演劇専攻でした。

「音楽と演劇の2つがあることは、芸術を学ぶためにとても良い環境です」金田恵美子

金田:当時の音楽専攻は、大学の音楽学部とも短大の演劇専攻とも交流がありましたね。文化祭の時に一緒に企画を立ち上げるとか、お互いの卒業公演を観たり聴いたりしていました。演劇専攻の千田是也先生と声を交わすだけでも刺激がありました。そうした体験で、文化的な視野が広がったと思っています。

音楽と演劇の2つの専攻があることは、芸術全般を学ぶためにとても良い環境だと思います。今は、両専攻の間でカリキュラムの共有があると聞いています。私たち以上に交流が深くて、とてもうらやましく思っています。

遠藤百合子会長(遠藤):私は、中学から桐朋に入学しました。中高6年と短大文科の2年の8年間を桐朋に通いました。短大を卒業してからも、同窓会に関わったので、ずっと桐朋とは縁が切れません。

当時、女子校の校長をされていた生江義男先生の教育は、のびのび、明朗、明るく、やりたいことに挑戦して、それを社会に還元しようというものです。個性をとても大事にする。私は、とても素晴らしいところで過ごさせていただいたと思っています。

髙田紀世会長(髙田):私も千葉会長と同じで、幼稚園から小学校(桐朋小)、中高まで桐朋に在籍しました。

私は、学校に行くのがただただ楽しかった。授業の記憶よりも、遊んでいた記憶、体育祭の記憶、文化祭の記憶しか残っていないほどです。

「桐朋の卒業生はプロ意識を持っている人が多いと思います」名取穣治

名取穣治(名取):僕は男子部の小学校(学園小)から桐朋です。実は僕の息子も娘も桐朋です。今日何を話そうかなと考えていたら、桐朋以外のところを知らないのだということに改めて気づきました。

特に学園小では、けっこう本を読まされて感想文を書かされ、気が付くと読書が好きになっていて、自分で考える力が付いたと思っています。年齢を重ねるごとに、自分を客観視できるようになる。

もう一つ強く感じるのは、桐朋の卒業生はプロ意識をお持ちの方が多い。僕自身、なあなあで済ますことが嫌いで、これも桐朋で育った影響なのかなと感じています。

尾﨑:僕も学園小からで、2期生になります。

学園小では勉強だけではなく、駆けっこも速ければ褒められたし、絵も上手に描くと評価してくれました。誰もが皆特技を持っていて、それぞれがなにがしかのことで褒められる。学園小は、子どもが持っているそれぞれの能力を評価する学校でしたね。

先ほど中学・高校の時の話をしましたが、小学校の時から、自由はいいけれどはみ出したらいけないことを教わりました。枠からはみ出したときは、しっかりと怒られたことを、今でも思い出します。

今思うと、当時、桐朋学園小学校は小学校教育においていろいろな実験をしていたのではないでしょうか。

千葉:私が桐朋小学校3年生だったとき、担任だった丸木シズ子先生が終わりの会で、「今日、何か発表したい人はいますか」と聞くと、誰かが発表します。すると「それはいいね!みんなで褒めてあげましょう」と、みんなの拍手で終わるのです。私だけではないと思いますが、その拍手をもらいたくて、今日は何をしようと考えるようになりました。自分がやったことを拍手で褒められることは、素直にとてもうれしかったですね。その経験から、中高になって「もっとこれができる、これをしよう」と、みんなの前に出て挑戦するようになったのだと思います。

「やりたいことを好きなようにやらせてもらったとが、今につがっている」髙田紀世

髙田:小学校の同窓会でホームページを立ち上げていて、その中で卒業生や先生に桐朋との繋がりをテーマにインタビュー記事を掲載しています。その際に必ず、桐朋で学び今に活きていることは何ですかと聞いています。いろいろな答えが返るなか、必ず、皆が言うことは、やりたいことを好きなようにやらせてもらったことだと。それが、今の職業に繋がっていたり、今の自分の生き方の選択に繋がっていたりする。やりたいことをやっていいのだと、全員、申し合わせたように指摘します。それが桐朋教育なのだと思います。自分の出身が桐朋だと言うと、みんなが温かい目で見てくれて、手を差し伸べてくれるのは、その繋がりなのだろうと実感しています。

「自分を肯定すると、他人も肯定的に見る習慣がつきました」千葉裕子

千葉:桐朋で自分が得たことは、自己肯定感です。自分を肯定すると、他人に対しても、こういうことができる人なのだと見ることができ、自己と他者を肯定する姿勢ができます。だから、抵抗なく挑戦しようという気持が育ったように思います。

先生方は「そんなことはやめておけ」とは、絶対におっしゃらなかった。「やる前に、クリアしなければいけないことを考えておけ」と言われただけです。やり遂げると、あたかも自分たちの力で成し遂げたと思っていましたけれど、本当はお釈迦様の手のひらのように、先生方のものすごく広い手のひらの上で、やりたいことに挑戦してきたのでしょうね。

篠崎:桐朋は一人ひとりの個性を尊重する学校だと改めて思っています。齋藤先生は、人と比べてはいけない、自分を大事にしなさいと教えてくれましたので、私もやってこられたと思っています。人と比べていたら、迷いが出ますよね。今でも、迷いが出るときに齋藤先生の言葉を思い出して、自分に向き合うようにしています。

遠藤:今の子どもたちは、自己肯定感が低いと言われています。私は、地方議員をしていますが、自己肯定感を育む教育に取り組みましょうと提言しています。今の社会、桐朋のような自己肯定感を育む教育がとても必要だと実感しています。

尾﨑:桐朋学園には、どこか共通して桐朋っぽさがあると感じています。その桐朋っぽさもはっきりと定義されるわけではないけれど、それが緩やかな大きな輪ゴムの中にあるような気がしています。卒業生には多様な人が多いのですが、輪ゴムから飛び出そうとしても、ゴムが伸び縮みするような、そういう学園ではないかと思います。

佐野:演劇の舞台は、たとえば30人のカンパニーで1つの作品をつくります。底辺の役もあれば、主役もいる、みんなが1つの駒になって作品をつくる。誰か一人でも違う方向を向いていると、その作品の価値は下がります。役では争うのですが、この作品を良いものにすることでは、協調性や団結力が発揮される。一つの舞台を創り上げるということは、カンパニーが大きな輪ゴムの中にいて、伸びたり縮んだりすることと同じかもしれません。桐朋では、それを学んでいる気がします。

髙田:卒業して、私は医師の仕事に就きました。今日も医師の大先輩として尾﨑会長と名取会長がいらっしゃいますが、私のまわりに桐朋の卒業生が多く、たくさん助けていただきました。卒業が桐朋だというだけで、男子校、女子校問わずたくさんの桐朋の先輩、後輩に助けられて、今私は仕事ができているという思いがあります。

「自分はまさに桐朋っ子だと思っています」遠藤百合子

遠藤:桐朋っ子という言葉があります。自分はまさにそうだと思っています。明朗闊達、あらゆるジャンルに飛び込んでいく、背中を押す先生方を含めて、自己肯定感を育む教育を、これからもずっとやっていただけると思っています。桐朋を卒業していなかったら、今の自分にはなっていないかもしれないというほど、影響力はありました。

名取:中高の桐朋祭に合わせて、小学校の同窓会ではホームカミングデーを開催して、桐朋を退官された先生方をお呼びして、先生方の期の卒業生が集まってくれます。桐朋が続いているのです。卒業して終わりではない。卒業したけれど、折々に桐朋が出てきて、ずっと繋がるのです。その意味では、素晴らしい学校で育ったと思います。

僕自身、桐朋に通っていなかったらどうなっていたかと思うと、とても恐ろしく感じることがあります。

篠崎:私は今、桐朋で生徒を指導しています。私の教え方に対して、厳しいと言われたこともあります。齋藤先生は恐かったのですが、先生は生徒のためにと真摯に向き合っていましたから、その怖さを受け入れることができました。私も、その教えに従って音楽と生徒に向き合っているので、指導は厳しいだけではないと自負しています。

「自分の芝居の基礎は、桐朋で習った2年間がすべてです」佐野圭亮

佐野:卒業して演劇の現場に立った時、自分の芝居の基礎となっているのは、桐朋で習った2年間がすべてだと実感しました。桐朋学園に感謝する気持が強くあります。私が同窓会に関わることにしたのは、私自身の原点回帰もありますが、在校生に桐朋学園の魅力を伝えたいと思ったこともありました。

尾﨑:今年の「桐朋8」は、「桐朋再発見」がテーマですね。桐朋学園の魅力の再発見と言っても良いかもしれません。

前回のALL桐朋同窓会から10年経ちました。それから、コロナがあり社会情勢も大きく転換し、地球温暖化も深刻で、未来が切り拓けない時代に追い込まれています。これからは、自分で考えて、自分で判断して、自分で歩くことが求められる世の中になります。

これからの社会を生き抜くための素養は、ただ勉強ができるだけでは身につきません。桐朋学園の卒業生は、自己肯定感や、自由とは何か、責任を取って行動することは何かを学び、生きてきたと思います。

いろいろな個性を持った8つの同窓会が集まり、いろいろな催しをすることで、ベテランはベテランで最近の若い人の様子を知ったり、若い人は若い人で桐朋の歴史を知ったり、先輩はどういう活動をしているのかということを知ることは、とてもおもしろいし、意義があると考えています。

千葉:まったく同感です。『繋がろう、繋げよう、桐朋8!』です。年齢など幅広い方々と、桐朋の魅力を継承していくことも大事になると思います。直接会って、会話をし、お互いに知ることで伝えられることも増えていくでしょう。10年に一回のイベントですが、こうした機会が日常的にでも行われるように、今年の桐朋8がそのきっかけになればよいと思います。

篠崎:学生の時、私たち音楽部門は普通科の人たちとは距離があると思っていました。でも、8つの同窓会が一緒に大会を開くことができるのは、挑戦する精神や自己肯定感や責任感などが、皆の中に流れているからだと知りました。

私も、桐朋にいたから今の自分があるし、桐朋学園の学生だったことに誇りを持って、皆さんと繋がりたいと思います。ぜひ、足を運んで、交流してもらいたいですね。

金田:学生時代は、男子校との繋がりがありませんでした。でも、社会に出ると思いがけなく、「えっ?あなたも桐朋だったの?」という方に会うことがある。懐かしい同期、先輩、後輩もいると思いますが、思いがけない出会いもあるかもしれません。桐朋の名前の下で集まったら、何か新しい発見もあると思います。

佐野:演劇の世界は、なかなか他業種の方とご一緒する機会が少ないのですが、僕は幸いに、会長職で皆様とお知り合いになる機会があって、いろいろなことを知ることができて、非常に幸運だと思っています。

いろいろな世代があり、それぞれ世代ごとの特徴もありますが、その中でも人として変わってはいけない大切なものがあると思います。是非大会に参加していただければ、楽しい世界が広がる、新しい世界を見ることができる、自分の知見も拡がるし、人脈も広がります。役づくりにも役立ちますと、演劇専攻の皆さんには伝えていきたいですね。

遠藤:実は短大文科の同窓会「桐風会」は、2007年、40年の歩みを止めました。学校経営を考えると、閉じざるを得ないということで、最後の同窓会長として、今に至っています。ですが、卒業生はいらっしゃるので、ぜひ声をかけていただいて桐朋8にいらしていただければうれしいです。

髙田:女子部小学校の同窓会会長に就き、自分の職種以外の様々な方々にお会いすることで繋がりの深さを実感します。年代、男女、専攻も違うけれど、みんな、桐朋愛にあふれているという思いを感じることができたのは、とてもありがたいと思っています。学生のときだけではなく、今の自分の人生を豊かにしているのが、桐朋との繋がりだと感じています。

私たちは、音楽科、演劇科の方々が特別な才能をお持ちで雲の上の人たちだと思っていました。しかし、こういう機会をいただけたことで、実は、お互いにそんなに高い壁はないとわかる、同じ桐朋という言葉でみんなが繋がっていることがわかったわけです。

今度の桐朋8に足を運んでいただけたら、桐朋のいろいろな部門が、根底に通じるものがあって、それを知ることで人生がまた豊かになっていくのではないかと思っています。

名取:今、皆さんの言われたとおりです。僕も趣味でピアノやギターを弾いたりしています。趣味ですが、たとえば、ベートーヴェンのソナタの第三楽章に突入してみたいと思っています。そんな風に、最後はバタバタやって生きたい。

でも、そういう気持を養ってくれたのは桐朋です。僕の同級生でも、芸術の道に進んでいる者もいます。自分の仕事も、プライドをかけて取り組んでいる職種です。そういう意味では、桐朋の卒業生で良かった。

皆さんのお話を聞いて、明日からまた頑張れると思っています。

次回、卒業生のインタビュー記事は<2026年10月1日>に予定しています。

こちらのページでは、先生や卒業生の近況、また桐朋生にとって懐かしい方々を紹介いたします。
桐朋学園初等部同窓会は6,928名(2026年4月時点)の会員から構成され、卒業生間の親睦と母校への貢献を目的に活発な活動をおこなっています。
卒業後も桐朋の教えをもつ仲間として、深い繋がりをもっていることが桐朋学園初等部同窓会の特徴です。

同期生同士の横の繋がりだけでなく、クラブ活動や課外活動等によって形成された先輩・後輩の縦の繋がりは、社会人になってからも大きな心の支えとなり、様々な場面で活かされ、その関係は一生のものとなっています。

「桐朋との繋がり」をきっかけに、更なる同窓生の交流が深まるよう、これから繋がりの深い方々を紹介していきます。