【Vol.18】桐朋との繋がり -15期 手塚友恵さん 前編-

ゲスト    :15期 手塚友恵さん(以下、手塚さん)
インタビュアー:桐朋学園初等部同窓会 会長 坂口佐代子 (以下、坂口)

 

坂口:
本日はお忙しいところ、お時間を頂きましてありがとうございます。

手塚さん:
こちらこそありがとうございます。

坂口:
今日は、15期で坂口の同級生であります手塚さんにお話を伺いたいと思います。
早速ですが、手塚さんのことについてお聞かせ頂けますでしょうか。

手塚さん:
やっぱり自然だとか、緑だとか動植物だとか、そういうものに接することがとても好きな子どもでした。それが桐朋に由縁するかどうか私には分かりませんけど、景信山の集中登山や、4年生の頃から八ヶ岳の寮を利用した一般的に言うところの林間学校みたいなことをやってくださったことは、その後の私に少なからぬ影響を与えているのかなという気はします。

あともう一つは、私の自宅は東京の世田谷の北烏山なのですが、最寄駅の京王線の芦花公園駅、そして桐朋小学校の最寄り駅が仙川駅で、この二つの駅の間を毎日毎日電車で往復をしている時に、子供心に踏切を通るたびに、この踏切の繋がっている道路というのが一体どこにつながってどこに行けるんだろうなとか、冬の芦花公園駅のプラットホームから富士山が見えたんですね、あの山の向こうにはいったいどんな世界があるんだろうなんて、ワクワクして考えてました。
そうした好奇心を芽生えさせてくれたのが桐朋であり、桐朋への通学路であったと思います。

中学生になりましてからはその好奇心の確認が始まりました。
この道路どこに繋がってるんだろう、富士山の向こうには何があるんだろう、八ヶ岳のその先には一体何があるんだろうといったことを、とても歩いては行けないので、父親が買い与えてくれた自転車をそのまま旅の足として、未知の世界を見に行ってみるっていうのが自分の趣味になりました。両親には心配を掛けましたね。

その傾向はそのまま中学・高校・大学まで続きました。就職をしましたら、私は京王電鉄系の不動産会社に就職したんですが、なかなか長い休みが取れなくて、自転車で自然にアプローチするというのは、気分が高揚するのに時間が掛かるのだなと思いました。

例えば、山登りであれば、夜行電車でも夜行バスでも山の麓まで行ってしまえば、すぐにその大自然の中に自分が紛れ込むことができたんですけど、自転車旅行ってのはやっぱり距離を稼ぐとか日数を掛けるとか、ある程度その時間が経った後じゃないと、自分の気持ちの高揚が生まれなかったなと思っていました。
結果的に就職した以降は、山登りのほうが手っ取り早く野生化できるので好きになってきました。自分と自然との距離をクイックに近づけさせてくれる山登りに傾倒し始めましたわけです。

不動産の営業職でしたので休みとかなかなか取れなかったんですけども、不思議なことに私が入社2年目だと思いますけども、営業でトップセールスマンになってしまったんですね。

それで営業所の所長に「すみませんけども、ヨーロッパ旅行がしたいので休みを11日間ください」って言って、休みをもらいましてね。当時その会社ではあり得ないような休暇申請話だったんですけれども、長期の休みをもらいました。

それで、ヨーロッパ旅行っての実はモンブランという山に登るのが目的だったのですが、当時あまり山のことは技術的にも、知識も体力も無かったんですけれども、モンブランという山に登ってきました。
ヨーロッパでは氷河圏の山を登る場合は山岳ガイドを雇用することが多いんですけれども、私はガイドを雇用せずに登ったのですが、ガイドを伴って高い峰々を目指してるいわゆる普通の登山者の方々を見て、山岳ガイドという仕事はすごい仕事だなと思いました。

山岳ガイドという職能は、人を喜ばせて、一生残るような思い出を作って、それが生業になってる。なおかつ、人の命をお預かりする、そういうやりとりというものに非常に憧れました。
7年4ヶ月その不動産会社に勤めた後で、ちっぽけな不動産管理の仕事を自分で立ち上げましたけども、その傍らで、そのモンブラン登山とかキリマンジャロ登山とかでお世話になった日本の旅行会社の方に「手塚さんは自分で脱サラして仕事始めたって言うけど、もし時間が自由になるんだったら、ツアーリーダーという日本人のお客さんを海外の山々に登る時にアテンドをする役目をアルバイトでもいいからやってみないかい?」って言われて、これ面白いなと思いまして、すんなり引き受けました。
そんなことから山が遊びの場から、仕事の場へと変わっていく時期がありまして、これが大体1987年から1989年頃の話だと思います。

その後、日本山岳ガイド協会の認定ガイドの資格を取り、今に至っています。私も57歳になりましたけど、なかなか体力的にも技術的にも、つまりお客さんとの技術だとか知識だとか体力の差があれば、その方をアテンドできるけれども、自分が年取ってきていろんなものが衰えてくると、なかなか責任もってお客さんを安全に登って降ろす仕事に従事することは辛くなってきました。

そんななか、今から7年ぐらい前ですけども、この日本に国民の祝日としての「山の日」を作ろうという運動が山岳団体を中心に巻き起こりました。で、私は日本山岳ガイド協会っていう公益社団法人の社員というか、社団の場合は会員という言葉が一般的には使われますけれども、法的には社員なんですけども、そこで「山の日」の制定事業について、ちょっと関わる事になって、2014年の5月なんですけども、衆議院本会議・参議院本会議で「国民の祝日法」の改正案、つまり16番目の祝日として「山の日」を作りますよ、ということが決まりまして、翌々年の2016年の8月11日、これが日本のカレンダーに国民の祝日山の日8月11日というのが明記された、初めての年であります。
ちなみに国連に加盟している国と地域は193ありますけども、その中でもナショナルホリデーとして「山の日」があるのは、私たち日本だけなんですね。世界で初めて、日本で国民の祝日「山の日」が出来たのです。

その国民の祝日「山の日」の制定趣旨というのは、
“山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝をする”なんです。
国民の祝日法改正案に記載されてますけれども、その当時のゴールというのは「山の日」を作ることでした。でも、実際にできてしまったら、「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝をする」という趣旨を一人でも多くの国民の方々にご理解をいただくこと、これが次の私たちのゴールになりました。

で、2016年の4月の1日付けで、「山の日」を作ろうって運動していた任意団体を法人化しました。それが一般財団法人全国山の日協議会です。主な業務というのは、もちろんその趣旨を具現化するためのもので、設立時の定款では12の主たる事業と3つの従たる事業というのを定めました。

その事業は主に省庁それぞれの「山の日」に係る所管分野を当てはめた事業でしたが、役所でもやることをなんで民間団体が繰り返さなきゃなんないのかなという疑問もありましたので、その15の事業というものを4つに集約しました。

一つ目は、たくましい子どもたちの育成です。
二つ目は、森林資源の保全と水資源の保全です。
三つ目は、山と自然の安全と防災です。
四つ目は、地域振興です。

この4つをそれぞれ独立した事業としてしまったら、やはり私達の存在意義は薄くなってしまう。それを横につなげてゆくことが民間団体のお役目であろう、私たちのこの世の中にある存在意義であろうという風に思っていますので、その4つをどんな風に有機的に連携させていくかという横軸の方向の話をこれからします。

それは、一つ目の横糸は「山の日」記念全国大会です。
毎年8月11日に開催されるイベントで、都道府県に大会開催地の立候補をしていただいて開催地が決定されています。47都道府県を立候補してくださった順番に日本各地で開催されていくわけですけども、1回目は2016年の8月11日ですが長野県の松本市上高地で開催しました。2回目の2017年度は栃木県の那須町で、2018年度第3回大会は鳥取県の米子市と大山町で開催しました。今年の夏、第4回大会は山梨県の甲府市を会場として開催をします。全国山の日協議会と8つの省庁を主たる構成員とする実行委員会を組成し、その下部組織として運営委員会を設け、開催地となった自治体がその事務局の機能を担い、私が運営委員長として各会を采配しています。

記念式典とシンポジウムやトークショーや連携イベントを行いまして、全国に対して今日が「山の日」ですよ、この日こそ山に親しむ機会をご家族で作ってみてくださいとか、山のことを考えましょうとか、私たちの国ってこんなに自然豊かで、そんなところに偶然生まれたということを誇りに思ったり、大切にしたり、自分たちの世代だけじゃなくて次の世代にも引き継いでいく方策を考えたり、そんなきっかけの日として考えてくださいね、っていうメッセージを全国に向けて発信しています。

二つ目の横糸というのは、これは武藤先生にもご登壇いただいた全国「山の日」フォーラムの開催です。
これは、先ほど申し上げた、たくましい子供たちの育成、森林資源と水資源の保全、山と自然の安全と防災、それから地域振興、それぞれのテーマごとに有識者の方々にご登壇頂いて、今持ってらっしゃる課題であるとか、これからどんな風にしたらもっとよくなるのか、っていうような事を皆で考えて、皆で議論しましょう、っていうシンポジウムをやったり、トークショーをやったり、山と自然に係る企業、行政、研究機関の出展ブースを設けたりする場です。

武藤先生には、その中でも、「たくましい子どもたちの育成」の分野で、この桐朋小学校がずっと昔からやっていた、景信山の集中登山の話をしていただきました。
それがなぜ巻き起こったか、どうして教職員の方々がそういうことを学校教育に取り入れようと思われたのか、実際に子ども達を連れて行ってどんなことが危惧されたのか、あるいは課題となったのか、そして時代を経て、それが学校の中で、なかなかやりづらくなった傾向にあるということなど、子どもたちの野外活動教育の分野のお話を頂きました。

今、働き方改革なんて言われていますが、やっぱり教職員の方々は教育者であり、登山のインストラクターやアドバイザーではありません。お忙しい中でそうした特殊な分野を会得されることは難しいと思います。2017年3月27日には那須岳というところで栃木県立大田原高校の子どもたちが雪崩に遭って、顧問の教員が1名、生徒が7名亡くなられましたけれども、これは個人的な見解ですけれども、危ないからやめようというのは、それこそやめたほうがいい。危ないんだったら、どうやったら安全に近づけるのかを考えるべきです。そしてそれこそが、亡くなられた子どもたちの一番の供養になるんじゃないかって思います。危ないからもうやめるだなんて、彼ら、死にきれませんよ。例えば、専門職の山岳ガイドを公費で派遣するとか、松本市は実際にそれを実践してますし。

そういうふうに専門職の方々を充てて、子どもたちの自然体験の機会というものを減らすことなく、例えば、新しい税法ができて、それが財源となって教職員の肉体的、精神的負担を増やすことなく、例えばガイドであったり有識者の方であったりとかが引率の責任の一端を担うことによって、これからもあのような野外授業は、日本のためにも続けていかなきゃならないものだというふうに思っています。

三つ目というのが、山の日マガジンの発刊です。
山の日マガジンというのは、主にその年の8月11日の「山の日」記念全国大会のこと、日本の山と自然の豊かさや文化のこと、などを記事にしたフリーペーパーで、まだ「山の日」のことを知らない方々にも行き届くように配布協力先の選定にも工夫しています。すでに「山の日」のことをよくご存知な方々の「身内の機関紙」になってしまわないように注意しています。
こちらは去年の2018年度版なんです。当時の皇太子殿下が寄稿された文章も掲載されています。日本山岳会の会員でいらして、とても山登りがお好きと伺っています。2016年の最初に開催した「山の日」記念全国大会には皇太子殿下、つまり、今の天皇陛下ですが、行啓されたんです。この時は、雅子妃殿下と愛子内親王とファミリーで上高地の記念式典に来てくださいました。宮内庁に行ってぜひお出でいただきたいってお伝えして実現しました。

一般財団法人全国山の日協議会 最新情報はこちらから

次回、手塚友恵さん-後編-は<2019年7月20日>に予定しています。

こちらのページでは、先生や卒業生の近況、また桐朋生にとって懐かしい方々を紹介いたします。
桐朋学園初等部同窓会は6,094名(2017年度3月時点)の会員から構成され、卒業生間の親睦と母校への貢献を目的に活発な活動をおこなっています。
卒業後も桐朋の教えをもつ仲間として、深い繋がりをもっていることが桐朋学園初等部同窓会の特徴です。

同期生同士の横の繋がりだけでなく、クラブ活動や課外活動等によって形成された先輩・後輩の縦の繋がりは、社会人になってからも大きな心の支えとなり、様々な場面で活かされ、その関係は一生のものとなっています。

「桐朋との繋がり」をきっかけに、更なる同窓生の交流が深まるよう、これから繋がりの深い方々を紹介していきます。