【Vol.70】桐朋との繋がり -46期 内藤 智文さん 前編-
インタビュアー:桐朋初等部同窓会 会長 髙田紀世(以下、髙田)

Tomofumi NAITO, JPN, bib number 29, Podium Photo, Men’s Flying Hill HS240 at Viessmann FIS Ski Jumping World Cup 2025-26 in Vikersund, Norway, 2026-03-21, Photo Credit: Julia Piatkowska
髙田:
本日は46期の卒業生、スキージャンパーの内藤智文さんにお話をお伺いしたいと思います。
よろしくお願いします。
内藤さん:
よろしくお願いします。
髙田:
まず自己紹介をお願いします。
内藤さん:
はい。現在は山形市役所に勤めていて、その傍らでスキージャンプ選手やっている内藤智文といいます。
髙田:
小学校の時はどのようなお子さんでしたか?
内藤さん:
もの静かな方ですけど、何て言うんですかね。やっぱり遊ぶ。
そうですね。外で遊んでいる記憶しかあんまりないので。ずっと遊んでいたっていう感じの子どもでしたね。
髙田:
桐朋小学校ではどんな遊びをしていましたか?
内藤さん:
大体運動をしていましたね。何かしら。
低学年の頃は本当に学校練り歩いてただけですけども、低学年の時に自然広場が新しくできたんですけども、そうですね、自然広場で遊ぶとか、何かしらボール使って遊んでることが小3から上は多かったかなと思います。
髙田:
何か思い出に残っていることとかあります?
内藤さん:
思い出に残っていることいっぱいありすぎて、本当にどれをっていうところが多いんですけど。
そうですね、学校で言えばボールで野球もやりましたし、バットでも打ちましたし、手でも打ちましたし、バスケもやりましたし、サッカーもやりましたし、本当にずっとそれをローテーションするような形でボール遊びをしていた記憶は強いですね。
髙田:
好きな科目はなんですか?
内藤さん:
あんまりこう、好きだった記憶はあんまりないんですけど、結構体育は嫌いで。
はい。なんでかっていうと、桐朋は結構踊りが多いので。
何て言うんですかね、ワーキングメモリーというか、こう見てこうパッて覚える。まあ音楽もそうなんですけども、見て覚える、聞いて覚えるっていうのがあんまり得意じゃなかったので、結構大変でしたね。
大変というか、苦労をした記憶はあります。逆にそれ思い出深いです。とにかく膨大な時間を使うので、思い出にも残ってますし、本当に今でも何て言うんですかね、もう無理くりメロディとかは覚えてたので、今でもそれが頭に出てくるぐらい覚えてますし、踊りも七頭舞だったりエイサーだったり、踊れと言われればワンフレーズ、ツーフレーズぐらい今でも踊れるんじゃないかっていうぐらいは記憶に強く残ってますね。 そういえば、美術で毎年やる織物は好きでした。
髙田:
他に思い出に残ってる行事はありますか?
内藤さん:
それもでもちょっとネガティブなものではありますけども、修学旅行は思い出深かったですかね。
あの、やっぱり戦争教育に関しては結構独特だったと思いますし、あれもかなり膨大な時間を使って、もう戦後80年近くなってしまっていると思うので、やっぱり原爆の被爆者の体験話を聞くのはなかなか大変でしたし、平和記念公園についてリニューアルしてから私は行ってないんですけども、リニューアルする前、結構やっぱり凄惨な衝撃的なものが多く飾られていたり、大久野島にも行って、まあ毒ガスの歴史を学んだりっていうところもあって、そういったところで、厳島神社にも行ってるんで、今思うとすげえ欲張りだなと思う修学旅行だなと思います。
髙田:
現在スキージャンプの選手ということですが、子どもの時からスキーをなさってたんですか?
内藤さん:
そうですね。スキーは親が本当に連れて行ってくれたので、本当に歩けるぐらいになったらもうスキーは履いていました、スキージャンプに関しても、ちっちゃいジャンプ台ですけども5歳から飛んでいました。初めて大会に出たのは、年長の時だったので、幼稚園から行っているので、スキージャンプと共に桐朋生活がありました。
髙田:
長野オリンピックのスキージャンプ団体を実際に見に行かれて、スキージャンプを始めたっていうことを記事で拝見しました。
内藤さん:
いえ、長野オリンピックはちょうど年中の時です。体験しに行ったのは次の年なので、年長の時の冬にスキージャンプを体験しに行って、その時にちょうど大会があったので始まりになっています。
髙田:
内藤さんご自身がもうスキージャンプをやりたいとおっしゃったんですか?
内藤さん:
いや、さすがにほとんど覚えていません。兄がやりたいって言って、それに向けて家族が動いて、私はついていくだけみたいな感じで。ちょうどスキーはできましたし、小さいジャンプ台もある下川町というところに体験をしに行ったので、私もできたみたいな。
髙田:
きっかけはお兄さんだったのですね。
内藤さん:
きっかけは兄ですね。兄としても、その長野オリンピックの作文、多分桐朋の編入試験を受けて、ちょうどその長野五輪の作文を書いて、合格して編入しているので、割とそうですね、スキージャンプと共に桐朋っていうイメージはありますね。
髙田:
幼稚園の時に実際に見た長野オリンピックは覚えてらっしゃいますか?
内藤さん:
ほとんど覚えてないですけど、断片的には。
すごい天気も悪かったですし。はい、結構覚えていた記憶はありますけども、原田さんが飛ぶ時は覚えているかな。
髙田:
幼稚園の時からジャンプを飛んでいるのでジャンプに対する恐怖心はなかったのですか?
内藤さん:
やっぱり幼稚園の時に初めて飛んだ、本当にコブみたいな5メーター級のジャンプ台は本当に怖かったですし、やっぱりなかなかうまく着地ができなくて、悔しかった気持ちはあります。
で、また小学校1年生の時ですね、ジャンプ台一つ大きくして、スモールヒルと言われる25mぐらい飛べるジャンプ台に移動する時はかなり怖かったです。大きいジャンプ台に移動する時は恐怖心があります。ただ、そこを恐怖心を打ち破るじゃないですけど、そういうところにこう楽しさを覚えていましたし。楽しかったなっていう気持ちもありますね。
髙田:
じゃあ怖いけど楽しさの方が上回るみたいな感じだったのですかね。
内藤さん:
そうですね、怖いからこそ楽しいぐらいの感じだったかもしれないです。
やっぱり大きいジャンプ台飛ぶと達成感とかもありますし。
髙田:
ジャンプ競技は年齢を重ねていくと、ジャンプ台がだんだん大きくなっていくイメージなんですか?
内藤さん:
そうですね、基本的には当時だと小学生、まあ大体小学校みんな大体3年生か4年生ぐらいからまず始めるんですよ。
雪国の子たちなので、大体小学校6年生ぐらいになると、割と60mぐらい飛べるジャンプであったり、まあちょっとこう上手な子だと90mぐらい飛べるジャンプでも飛べるようになるみたいな形で、本当に小学校4年生ぐらいまでは、飛んでも60mぐらいしか飛べないジャンプ台を飛ぶみたいな感じですね。
髙田:
小学校、中学校までは、東京にいて桐朋小学校、国立の桐朋中学校に通学なさっていたのですよね。
スキージャンプ競技の練習と学校との両立はどのようになさっていたんですか?
内藤さん:
小学校の時は、大変でしたけど、あんまり何も考えずにできましたね。
小学校では勉強も苦ではなかったですし、本当にめちゃくちゃ遊んで帰ってきて、そこから親が仕事終わって戻ってきて、一緒に練習してみたいなことやっていました。
ただ、中学校行った時、なかなか勉強が厳しかったので、そこはやっぱり苦労しましたし、あんまりうまくいきませんでした。両立できなかったという反省点はありますね。
髙田:
スキージャンプ選手としてやっていこうと決めたのはいつだったのですか?
内藤さん:
この間のインタビューを読んでいただくとわかると思うんですけど、ジャンプ選手では無理だなっていうのは中学生の時点で分かっていたので、ジャンプ選手としてやっていこうっていうところは一つもなくてというのがありましたね。
髙田:
でも高校はスキージャンプを目的として北海道の方に行かれたんですよね。
内藤さん:
そうですね。ちょっとやっぱり両立がうまくいかなかったところと、どっちも中途半端になってしまった時に、どっちかって言ったら、スキージャンプを頑張りたいっていう、その気持ちが強かったです。5歳からその時点で十年ぐらい続けてきたスキージャンプをどうやってうまく終えられるか、みたいな頭の中でした。そうした考えからの、中学校からの転出ですね。
髙田:
雪国の子たちは、小さい時から毎日飛んでいてその中に内藤さんが入っていくっていうような感じだったんですか?
内藤さん:
いえ、本当に体験した時がもう幼稚園で、まだ小さかったのでかわいがってもらえました。
ちょっと変な目で見られますけれども、日本全国のジャンプ少年団と言われる組織があるんですけども、そこにお世話になりながら取り組んでいました。小学校の時は割と勝ったり負けたりしながら、結構楽しくスキージャンプをやれてはいましたね。ただ一方で中学生になると、部活っていうカテゴリーになって、私は身体が小さくて、あんまり大きくなるのが遅かったので、まあ筋力的な差だったり、こう一つやっぱりレベルが高い練習を、部活としてやっていく中で、ちょっとずつ競技力が劣ってきました。なのでスキージャンプが伸びなかった時期ではありましたね。
ジャンプもうまくいかないし、勉強もうまくいかないみたいな。3年間。そういう意味であんまりいい思い出はないですね。
次回、内藤智文さん-後編-は<2026年11月1日>に予定しています。
こちらのページでは、先生や卒業生の近況、また桐朋生にとって懐かしい方々を紹介いたします。
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卒業後も桐朋の教えをもつ仲間として、深い繋がりをもっていることが桐朋学園初等部同窓会の特徴です。
同期生同士の横の繋がりだけでなく、クラブ活動や課外活動等によって形成された先輩・後輩の縦の繋がりは、社会人になってからも大きな心の支えとなり、様々な場面で活かされ、その関係は一生のものとなっています。
「桐朋との繋がり」をきっかけに、更なる同窓生の交流が深まるよう、これから繋がりの深い方々を紹介していきます。

