【Vol.23】桐朋との繋がり -Iさん 前編-

ゲスト    :卒業生Ⅰさん(以下、Iさん)
インタビュアー:桐朋学園初等部同窓会 会長 坂口佐代子 (以下、坂口)

 

今回のインタビュー”桐朋との繋がり”についてですが、インタビューを受けて下さった卒業生のお仕事の関係上、匿名での公開記事になりますこと、予めご了承いただきたくよろしくお願いいたします。

坂口:
本日はよろしくお願いいたします。
Iさん、今日は初等部同窓会のホームページのインタビューにご対応頂きましてありがとうございます。
簡単にIさんの自己紹介をお願いいたします。

Iさん:
前の小学校は公立小学校だったのですが、3年生の終わりに母の陰謀(笑)で受験し、桐朋小学校に転入いたしました。4年生の時ですね。それで、電車通学になりまして、当時の住まいはS駅が家の側でした。桐朋小学校に入ってみて本当によかったと思っています。ただ、前の小学校の時に好きな男の子が居たので、離れることはとても悲しかったのですが(笑)

実は私は小学校2年生の時、いじめられっ子だったんですね。
3年生になっていじめっ子と違うクラスになって、それなりに楽しく過ごせるようになっていたんです。母はそういう私の事情とは全く関係なく、どうしても自分の子供を桐朋小学校に入れたいという野望をずっと抱いていたそうで(笑)
一番上の姉の時も、二番目の時も、いつの話か知りませんが、母は桐朋小学校を受験するよう言ったそうです。でも、二人から断られたようなんですよ。、それで母は私を最後のチャンスと考えて特別の作戦を考えたようです。

3年生の時のある夕方に突然母が教室まで迎えに来まして、私は「いいところに連れてってあげるよ」と言われて学校から連れ出されました。親戚の家に行けると思いウキウキしていたら、電車に乗った時点で、実は実力テストを受けに行くのだと聞かされたので、嫌がったところ「テストを受ければ漫画を買ってあげるよ」って言われました。
その時私は漫画の読み過ぎで母から漫画禁止令が出ていたので、テストを我慢して受ければ大好きな漫画を買ってもらえるならいいかと思って試験会場に行ったんですね。その時の筆記テストはたぶん出来が悪かったと思うんです。覚えているのが作文のお題が「今日の出来事」だったので、私は母との会話や漫画を買ってもらってうれしかったことなど全ての事実を10枚以上の原稿用紙に書いたんです。帰宅後そのことを話したら母は顔を引きつらせていましたが(笑)。それで、私が作文を書いている時間に母だけの面接があったんです。

坂口:
親の面接があったんですね。

Iさん:
はい。例年は親子で面接を受けていたみたいですけど、その年だけ学校の都合で母親だけの面接だったんですね。だから受かったんじゃないかと思っています(笑)。

坂口:
漫画のチカラってすごいですね(笑)

Iさん:
そうですね(笑)

それで待合室のところで、周りのみんなは神妙な面持ちできちんとした格好でいたんですけど、私は学校の帰りの恰好だから普段着のままで買ってもらった漫画を夢中で読んでいて、品のいい人たちの中の荒くれものみたいに浮いていたと思います。

坂口:
それは少女漫画ですか?

Iさん:
はい。高階良子さんが描いた、「はるかなるレムリアより」という単行本でした。江戸川乱歩とかファンタジーなどを題材にした漫画を多く描く漫画家さんなんですが、小さい頃からものすごい大好きで、母からは週刊マーガレットを勧められましたが、私は迷わずこの漫画を買ってもらいました。
今は小学校に入れていただけて本当にありがたかったと思っているんですけど、当時は大好きな友達と離れることになり、絶望の淵だったんです。

坂口:
そうだったんですね。その大好きなお友達と離れるって寂しいですよね。

Iさん:
はい、平川くんです(笑)

坂口:
平川くんとは両想いだったんですか?

Iさん:
違います。片思いです。告白はしておりません(笑)
だから、桐朋小学校に行き始めて、色んな人とすれ違う度に、平川くんの幻は何度も見かけました(笑)

坂口:
桐朋小学校には、淡い思い出を残しての桐朋小学校編入だったんですね。

Iさん:
そうですね。
それで、私は前の学校でいじめられていた経験もあるから、桐朋小学校に入った時にどうなるかなと思っていたのです。最初はなかなか慣れなかったのですが、同じ駅の友達が居たのでとても助かったのと、同じ編入で同じクラスになった友達が居て仲良くしてくれてとても助かりました。
あとは知らない人ばかりだから、馴染むかな、どうかなと思っていました。
編入当日に、校則を知らずに合格祝いの腕時計をつけて自己紹介をした時、クラスメイトの子から「腕時計はダメなんだよ」ってはっきり言われて、結構いじめをうけた時のようなショックを受けました。でもすぐに他のクラスメイトの何人かがその子に反論して、私をかばってくれたんですよ。いじめのない世界に足を踏み入れた瞬間でした。

ある時、アッパレという名のバカ殿を自分のキャラクターにしていて、後ろの黒板に書いていたんですが、そしたら誰かがいつのまにかそのアッパレの両足の間から、ピピピっておしっこを書き加えてくれたんですよ(笑)
それで、クラスメイトに受け入れられたような気がした記憶があります。何とも嬉しかったですね。
いまだにアッパレを書けるんですよ(笑)

坂口:
そうだったんですね。是非アッパレ君をホームページに書いてください(笑)

Iさん:
恥ずかしいので、今度坂口先輩にだけお見せします。(笑)
ところで、ある日友達と遠足のお菓子を買いに行ったときにたまたま私の母に出くわしました。その時にその子の挨拶の仕方や振る舞いが自分と同い年とは思えないほどとても素敵で洗練されていたので、衝撃を受けました。

坂口:
桐朋の子なのに?

Iさん:
逆です。桐朋の子だから!
私のイメージでは、桐朋の子はとても礼儀正しいイメージがあって、いいとこのお家柄でお育ちがよくきちんとしている憧れのイメージ。私は公立から来たんで、公立のイメージって様々だと思うんですが、公立は本当に経済的にも色々な部分で全然違ったんですよ。

桐朋の子は違うなぁと、小学生ながら感じていたんですよ。
それでなんとなく、その中に荒くれものの私が居ることに違和感を感じていたんですけど、でも本当にみんな優しかったんですよ。本当にいい学校だなと。居心地が良く、幸せだなと。私は桐朋に来てやっと安心できたんですね。

もうひとつ桐朋小学校に驚いたところがあります。
私は、前の学校の延長で、先生は偉い人で滅多なことでは近づけないというイメージを持っていたのですが、桐朋小学校に来たら先生は友達のような感覚だったんです。(笑)先生が友達のように沢山話しかけてくれたり、職員室も平気で出入りするんです。
「えっ!」こんな軽い感じでいいの?と思ったんですね。しかも、担任ではない違うクラスの先生が私の名前を知っていて、話掛けてくれて、いいキャラクターだねって褒めてくれるんです。勉強ができる出来ないというのは関係なく、キャラクターを褒めてくれる。そんな学校って無いと思うんです。つまり存在を認めてくれるんですよ。

桐朋ではいろんな行事があって、学芸会とか畑のこととか八ヶ岳の合宿とか、その時に先生方はちゃんと見てくださるんですね。あの子はこういう子だとか、この子はこういった性格だから。とか、分かってくれる。学年全体がそんな雰囲気なのは、凄いことだなと思うんですよ。今想うと感動することばかりで、本当にいい学校だったなって。だから、毎朝起きて学校に行くのがとても楽しみだったんです。

いや、でも最初の半年は行きたくないって駄々こねて、母に付き添ってもらいましたね。でもある日、通学中の電車の中で、桐朋幼稚園の子が一人で乗っていたんですね。その時にこの子より年上の自分が母親に頼んで付き添ってもらっていることが急に恥ずかしく思えてきて、自分は甘え過ぎていたって思って、その場で母に明日からもう一緒に来なくていいって言ったんです。それで一人で行くようになりました。

坂口:
S駅から仙川駅まで結構ありますよね?

Iさん:
40分ぐらいですかね。
上り電車ですから、満員電車ですね。

坂口:
大変でしたね。Iさんの自己紹介、ありがとうございました。
次の質問になりますが、現在のIさんについてお伺いさせてください。

次回、卒業生のインタビュー記事【後編】は<2020年2月20日>に公開を予定しています。

こちらのページでは、先生や卒業生の近況、また桐朋生にとって懐かしい方々を紹介いたします。
桐朋学園初等部同窓会は6,094名(2017年度3月時点)の会員から構成され、卒業生間の親睦と母校への貢献を目的に活発な活動をおこなっています。
卒業後も桐朋の教えをもつ仲間として、深い繋がりをもっていることが桐朋学園初等部同窓会の特徴です。

同期生同士の横の繋がりだけでなく、クラブ活動や課外活動等によって形成された先輩・後輩の縦の繋がりは、社会人になってからも大きな心の支えとなり、様々な場面で活かされ、その関係は一生のものとなっています。

「桐朋との繋がり」をきっかけに、更なる同窓生の交流が深まるよう、これから繋がりの深い方々を紹介していきます。