【Vol.9】桐朋との繋がり -依田 功先生<前編>-

ゲスト    :依田 功先生(以下、依田先生)
インタビュアー:桐朋学園初等部同窓会 会長 坂口佐代子 (以下、坂口)

坂口:
先生と学校との繋がりは、どのようなきっかけがあったのでしょうか。

依田先生:
大学の先生から桐朋小学校の採用試験のご紹介がありまして、小学校を受けてみてはどうかということだったので受験することになったのです。
どんな試験であったのかほとんど覚えてないんですが、ただ卒業論文はどういうものだったかっていうことだけは聞かれたように、なんとなく覚えております。

倍率は8倍ということを聞きましたけれど、その合格の知らせがあった時はとても嬉しくて、これでやっと就職できるという安堵感がありました。
桐朋学園初等部の教員として、それから2年間勤務したわけですが、今から50年前になります。あの時、岩槻から仙川まで通うのは、2時間ぐらいかかったように覚えています。
埼京線とか湘南新宿ラインというのはなかったので、大変長い通勤時間だったと覚えています。
電車の中でいろいろと仕事のことを考えるのですが、さて学級通信の名前はどうしようかっていう時に、ふと通っているここの鉄道の“線路”っていうのを思いつきまして『せんろ』と命名したのを覚えてますし、2年生の時はその線路を支える“枕木”は、なにか人間的な感じがして『まくらぎ』という名前をつけることにしました。

朝6時頃家を出るので、桐朋小学校には8時過ぎぐらいに着いていたのです。今の新任教員は一時間半ぐらい前までには行かなきゃいけない、とよく聞きますけども(笑)、私は、ぎりぎりセーフで勤務することができたと思います。ところが慣れてないせいもあるのでしょうか、仕事に疲れたんでしょうか、やっぱり通勤の疲れが多かったので体調崩すんですね。

体にも症状が現れたりして、体がふらふらすることが多くて、それを耳にした当時の校長、生江校長先生が「依田君、熱いお湯に足を入れると良くなるかもしれないよ」っていうことで、実際にそういうことをやってみましたけれども、まあ最終的には通いきれなくなって学校の近くに住むようになりました。
部屋を借りて、薄暗い部屋だったなと覚えております。(笑)

私は、専攻科を卒業してから同時に結婚をしていましたので、別居生活をしていたことになるわけです。
先輩の先生方がよく心配してくれて、岩槻と仙川の中間地点に、例えば赤羽に住んだらどうかな、ということを言われました。それからある先生からは「教師はやっぱり家族があって、安定した家族生活の中で、よりよい教育実践ができるんだよ」っていうことをおっしゃられる方もいましたね。それもそうだなということで、桐朋を去ることになって、埼玉の教員になったという経緯があります。

坂口:
ありがとうございました。そのようなストーリーがおありだったのですね。
では2番目の質問になります。先生にとって、桐朋学園初等部はどのような想いがあるのでしょうか。

依田先生:
まずは子どもたちについてですけれども、全体として生きる意欲が旺盛だった子が多かったな、というふうに思っています。元気で明るく素直な子どもたちでした。したがってよく遊びました。(笑)
休み時間になると校庭に出てドッジボールやサッカーをして遊んだことを覚えております。授業が終わると私も手を引っ張られるようにして、校庭に出て行くんですが、よく手を繋ぐ子がいましてね。その子が「依田先生の手がもっとあるといいな」ということを言っていまして、今でも印象に残っています。

手を繋ぎたいのに、手を繋げない子どもたちが周りにきっといたんでしょうね。
そういう子たちのことを思って、その子は言ったんだと思いますが、なんて言うんでしょうか、子どもの柔軟な心というものでとても印象にのこる言葉でした。

このように活発な子どもたちの興味・関心・意欲に応えようとして、実践をしてきましたけれども、2年生の時には、プールに浮かべる船を作ったり、それから近くのあの糟嶺(かすみね)神社にお弁当を持って行って、そこでも遊んでおりました。あるお母さんがそのことを取り上げていました。それはプールに浮かべる船作りのことでして「水着を着てない子どもも、たまりかねて体育着のまま水に飛び込んで競争に参加しました。カメラのファインダーを覗きながら見る子どもたちの表情は特に素晴らしく、私は本当に久しぶりワクワクしました。」というお母さんの感想文があるのです。また子どもたちも、そのことが心に残っているようで、卒業文集に書いたと思いますが、「今想うとそういうことを許した学校って素晴らしかったなあ」ということを思いますね。普通はプールが汚れるとか、それはどういう目的や教科でやるんだとか言われますよね。あんまり細かくほとんど言われなかったので、心に残るに取り組みでした。

また、毎週金曜日の5時間目に糟嶺神社に行ったのですが、ある子がそのことについて詩を書いてましてね。
「どんぐり」という題なんですが、

かすみねじんじゃの
どんぐりは
はっぱのかげから
おにごっこするのを
なかまにはいりたそうに
見ていたよ
かすみねじんじゃの
どんぐりは
えだの上から
空のにおいを
かいでいる
「ぶどうのにおいがするよ」
かすみねじんじゃの
どんぐりは
ぼくがいなりずしをたべるのを
うらやましそうに見ていたよ
えだからおちた
どんぐりは
土のふとんにねて
春がくるのをまってたよ
ふとい木のゆめ
見ていたよ

そういう詩を書く子がいて、また鬼ごっこをしていて、なかなか鬼をやめられなくて、最後は泣いてしまう子がいた、ということで、そのことをやっぱり卒業文集で書いていた子がいて、「今思うととても恥ずかしい」と書いてありましたけれども、いろいろな生活体験・活動体験をすることができていた場だなと思っています。

子どもたちの興味・関心・意欲に影響を受けて活動を進め、生き生きした低学年時代を作ってあげよう、ということで、そのことをしたんだ、と今は思います。

それから次に桐朋時代で心に残っていることは、桐朋の先生たちのことですけれども、人間的にも教師として実践の豊かさにおいても、本当に魅力的な先生が多くいました。
その先生たちから私はたくさんのことを学びましたが、新任の教師であるが故に、委縮することなく伸び伸びと仕事をできたということ、大変嬉しく思っています。若い先生方の意見を取り入れたり、実践を評価してくださったりして、私もとてもやりやすかったです。その頃、丸山隆先生が、「学校づくりをどう進めるのか」、という私案を提起され、「教師および教師集団の『自由』が保障される必要がある」というふうに述べておられます。自由を大事にするとともに、教師としての重い責任とか自覚というのが求められていたのだな、ということをいま思います。
こうした校風の中で、創造的な実践に取り組む意欲が生まれたのだ、と思っています。
そういう点では桐朋での2年間が、私にとって本当に教師としての原点であり、教育の原点でもあったということをつくづく今振り返って思っているところです。

それから3点目になりますけども、父母の皆さんに温かく支えて頂いたというのも心に残っています。
低学年ブロックPTA では“父母と教師の研究会”に取り組みまして、6回も開かれているんですね。最後の方で感想を述べてもらった時に、「そういうことも大事だけれども、先生たちは忙しいんだから、もっとそういうことを減らしてもいいんじゃないか」、というご意見をいただいたんです。でも私は例えば、低学年のブロックで研究授業がありまして、授業者として授業をいたしましたけれども、そのことについてお父さん方やお母さん方からいろいろご意見いただいたことが、私にとってとても宝物で、これで保護者の方から信頼を得て、教師としてやっていけるなって思ったのを覚えております。

お母さん方の声もそういう PTA 活動を通していろいろと聞くことができたのですけれど、あるお母さんは研究会があった後だと思うんですが、嬉しく思っていることは、平等な教育を受ける桐朋学園の生徒は本当に幸福だ、っておっしゃっておりました。

また、付け足しになるのですが、生江校長先生が『教科経営とそのビジョン』という冊子を著していましてね、最後のところで、
「私達、学園でのタブーは、『デキがよい子』とか、『デキが悪い子』ということばなのである」
と書いてありました。つまり言ってはいけない、考えてはいけないこととして、出来が良い子とか、出来が悪い子という区別・差別を絶対してはいけない、ということをおっしゃっておりました。このお母さんも「平等な教育」という表現で桐朋の良さを述べていたんだと思います。それからあるお母さんは「真の教育への勇敢な努力を惜しまぬ先生方がおられる桐朋を選んだことへの誇りと安堵を覚えています。」と述べております。
こういうPTA 活動を通してお父さん、お母さん方との接点を持って、保護者の方の教育要求を取り入れることができて大変良かったな、というふうに思っています。保護者の皆さん方は、初任者である私に対して、初任者であるが故に不安とか思っていらっしゃったと思うのですが、なんとか2年間やり遂げることができたというのも、そういう保護者の皆さんの温かいご協力があったからだということを、今改めて思い返しております。

坂口:
素敵なお話をありがとうございます。
桐朋は素晴らしくいい学校ですね!

依田先生:
本当にいい学校だと思います。

坂口:
昔のお父さんお母さんは素晴らしいですね! いろいろなことを考えていて。

依田先生:
そうですね、いろいろな考え方や意見はあるけども、基本的には学校を信頼して、しかも学校任せにはしないで、きちんと言うべきことをおっしゃっていただいたということで、いい関係だったな、というふうに思っています。

次回、後編を<8月20日>に掲載を予定しています。

こちらのページでは、先生や卒業生の近況、また桐朋生にとって懐かしい方々を紹介いたします。
桐朋学園初等部同窓会は6,094名(2017年度3月時点)の会員から構成され、卒業生間の親睦と母校への貢献を目的に活発な活動をおこなっています。
卒業後も桐朋の教えをもつ仲間として、深い繋がりをもっていることが桐朋学園初等部同窓会の特徴です。

同期生同士の横の繋がりだけでなく、クラブ活動や課外活動等によって形成された先輩・後輩の縦の繋がりは、社会人になってからも大きな心の支えとなり、様々な場面で活かされ、その関係は一生のものとなっています。

「桐朋との繋がり」をきっかけに、更なる同窓生の交流が深まるよう、これから繋がりの深い方々を紹介していきます。